合肥の名は、張遼(ちょうりょう)が超人的な活躍をして呉軍を蹴散らした合肥城の戦いが有名です。しかしこの合肥城は、はじめ無人でボロボロの城でした。この無人でボロボロの城を鉄壁の城に作り上げ、呉軍を長年にわたり悩ませ続けた名臣・劉馥(りゅうふく)を今回紹介していきます。
この記事の目次
旧袁術の家臣を率いて魏に仕える
劉馥は戦乱を避けて、揚州の九江郡におりました。しかし、この地も戦乱の嵐に巻き込まれてしまいます。孫策(そんさく)が旧袁術領を手に入れるため、揚州刺史を派遣します。曹操(そうそう)もこの地を手に入れるため揚州刺史を派遣するのです。
曹操と孫策が派遣した揚州刺史は互いに争う
曹操と孫策が派遣した揚州刺史は互いに争い、孫策が派遣した揚州刺史が勝利します。戦いに決着が着いたことで、九江郡が安定すると思われましたが、この地に住む豪族達が一斉に反乱を起こし、九江郡で暴れまわります。さらに孫策の死後、この地を治めていた揚州刺史は反乱を起こし、大混乱に陥ります。劉馥は大混乱している九江郡の状況を安定させるため、袁術の旧家臣達を説得させ、曹操に仕えさせます。曹操は大いに喜び、劉馥を揚州刺史に任命し、彼に揚州の事はすべて任せます。
劉馥は豪族達の説得に成功する
揚州刺史となった劉馥は、単身で合肥に赴き、豪族達を懸命に説得します。豪族達も彼の必死の説得に応じ、曹操に帰順します。大混乱であった九江郡を安定させましたが、長年この地が戦乱に巻き込まれていたため、荒廃しておりました。そのため劉馥は、九江郡の住民を合肥に移住させます。
無人の合肥を整備し、堅城都市を作り上げる
劉馥は、九江郡から移住してきた住民たちが、安心して暮らせるように城下町を整備します。彼が合肥城に来た時、田畑や道は荒れ、人が住める状態ではありませんでした。劉馥はまず、役所を作り行政機構を確立させます。その後、子供達が教育できるように学校を作り、さらに道を整備して、田畑を開拓させて生産力増強を図ります。
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