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戦が終わった後の曹彰の対応
戦が終わった後、兵士や諸将に通常の倍以上の褒美を与え、彼らをねぎらいます。曹彰は鳥桓討伐の成功を父曹操に報告するため、長安に凱旋。曹操に北方の戦を報告すると「黄髭よ。お前の将来を懸念していたが、こんなに立派な将軍になって俺はうれしいよ」と息子を褒めます。曹操は曹彰が立派につとめを果たしたことがよほどうれしかったらしく、彼を昇進させ新たな将軍を与え、褒美をいっぱい与えます。こうして立派な将軍に成長した彼ですが、大きな落とし穴がありました。それは曹操の後継者争いです。
曹操の後継者争いに巻き込まれる
曹彰はその後北方の守備に就きますが、新たな将軍の位を与えられ昇進すると父曹操から長安に駐留するよう命じられます。彼は長安にとどまっていましたが、突然曹操に「急いで洛陽に来てくれ」と言われ洛陽に急行します。曹彰は洛陽に到着した時にはすでに父は亡くなっていました。すると曹彰は王の位を望んでいたのか、父曹操が持っていた魏王の印綬を管理している賈逵(かき)に「魏王の印綬を俺に渡せ!」と迫ります。
曹彰は何で王の位を望んだの?
しかし賈逵は「知らない」の一点張りで、彼に印綬を渡しませんでした。このやり取りは「魏氏春秋」と言う書物に記載されています。しかし曹彰は果たして王の位を望んでいたのかは疑問でなりません。私が疑問に思う点は二つです。まず幼少期からずっと将軍の位にあこがれており、政治や文学に興味を持っていなかった彼がいきなり王位になりたいと思うでしょうか。また「魏略」と言う書物にはこう記されています。曹彰は洛陽に到着すると曹植に「親父が俺を呼んだのは、植を王にするためではないか」と言います。
しかし曹植は「袁家の兄弟の争いを兄上もご覧になっているでしょう。ですから兄弟が王位継承について争うことはよろしくない」と曹彰をたしなめたそうです。この一文からも分かるように曹彰は曹植(そうしょく)と仲の良く彼を王に就けようとしていたのではないでしょうか。もしくは曹操から曹植を王にしてやってくれなどの願いを彼が聞いているとすれば、彼が賈逵に「王の印綬を渡せ!」と迫ったとしても不思議ではありません。しかしこれらは曹操と曹彰の二人にしか分からない事です。
三国志ライター黒田廉の独り言
曹彰はその後洛陽の家で急死してしまいます。一説によると曹丕(そうひ)は彼の武勇を憎んでいたそうです。そのため曹彰を自らの家に呼び、二人で碁を打っていた時、ナツメに毒を入れて彼に食べさせたそうです。毒入りナツメを食べた曹彰は、突然倒れます。この時一緒にいた卞太后は曹彰を助けるため、井戸から水を汲んで来ようとします。しかし井戸の釣瓶は曹丕によって切られていたため、水をすくうことができず、曹彰はそのまま亡くなってしまったそうです。その後曹丕は王位継承権を争った弟・曹植も殺そうとします。
しかし曹丕の母親である卞太后が「お前は弟の曹彰を殺したのだ。これ以上自分の弟達を殺すことは許しません」と激怒。曹丕は母の怒りに触れた事で曹植殺害を諦めたという話が記載されています。現在まで曹丕は冷酷な人のイメージを持っているのはこのような事が伝えられているためでしょう。ついでに曹彰の跡は息子の曹楷(そうかい)が引き継いでいきます。
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