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袁術のもと、孫家を守り抜いた孫賁(そんふん)、孫輔(そんほ)兄弟が熱すぎる!

2016年3月21日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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八千の兵で劉勲を待ち伏せ撃破

孫策 頬

 

帝位を専称していた袁術が死に、その軍を吸収した盧江郡の劉勲と表面上仲良くやっていた孫策でしたが、偽りの同盟をもちかけます。そして劉勲が兵を動かした隙に、その城を孫策が乗っ取ってしまうのです。そのとき、孫賁・孫輔兄弟は協力して伏兵となり、八千の兵で劉勲の兵を打ち破っています。これで孫家は楊州の大半を手にするのです。

 

孫賁の娘は曹章(曹彰)の妻に、政略結婚

曹操

 

江東を制した孫策を懐柔しようと、曹操は政略結婚をもちかけます。曹操は弟の娘を孫策の末弟・孫匡に嫁がせ、わが子・曹章(曹彰)の嫁に孫賁の娘を迎えます。血のつながりをもって互いの勢力が戦わずに協力し合う方向です。曹操にとっては珍しい戦略でもあります。ちなみに曹彰は曹操亡きあと、家督争いに敗れて亡くなっていきますが、その子孫は生き残り、晋の時代にも繁栄していきます。曹家と孫家の両方の血筋を引き継いだ者が、絶え間なく新しい時代でも活躍しているのは少し不思議な感動があります。あらためて、袁術が孫家を援護し、応援したからこその結果です。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂さん02b 背景あり

 

孫賁・孫輔は、孫策が本格的に台頭してくるまでの孫家が不安定な時期を守り抜いた二人です。あくまでも袁術庇護のもとですが。江東平定にも尽力し、曹操との仲も取り持つなど、活躍の場を充分に与えられています。しかし、弟の孫輔は、孫権が当主になった際にひそかに曹操に手紙を送り、寝返りの約定を交わしていた様子です。それが明るみに出て、側近皆殺し、兵を没収、追放とされています。兄の孫賁も曹操が荊州を手中にした頃に人質を出して帰順しようとしたとあります。肉親がこの動揺ぶりですから、他の家臣も揺れていたでしょう。血族の曹操への内通が相次ぐ中で、それを逆手にとって、赤壁の戦いでは黄蓋の偽りの寝返りが絶大な効果を発揮することになります。曹操の撃退に成功します。そして古参の将が薄らぐ中、年々、孫権独裁色が強まっていくのです。

 

 

 

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ろひもと理穂

ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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