夷陵の戦いで劉備率いる蜀軍を完膚なきまで叩き、その後も呉の重鎮として内外から高い評価を受けていた大都督・陸遜(りくそん)。彼には弟がいました。その名を陸瑁(りくぼう)と言います。陸瑁は晩年になって孫権(そんけん)に仕え、孫権が誤った方向に向かおうとした時恐れず忠告を行った人です。
この記事の目次
従祖父陸康の元に身を寄せる
陸瑁(りくぼう)の父は早くに亡くなり、兄陸遜と共に盧江太守で従祖父の陸康の元に身を寄せます。彼は若い頃から学問が好きで、義侠心溢れる人柄でした。陳融(ちんゆう)・濮陽逸(ぼくよういつ)など有力者が居ない貧乏学生達は彼の義侠心を頼ってきます。陸瑁は彼らを快く受け入れ、お金や物、食料など惜しげもなく与え、援助します。
陸康が孫策に殺される
陸康は袁術から「兵糧を援助してくれないか」と依頼されます。しかし陸康は彼の依頼を断ります。袁術は兵糧援助の話を断られ、陸康に恨みを持ちます。その後袁術は孫策に命じ、陸康を討伐させます。陸康は袁術の配下であった孫策に抗いますが、彼に敗北。その身は捕虜なり孫策に殺されてしまいます。陸瑁は養ってくれた従祖父が孫策に殺された事を大いに恨みます。そしてこの恨みは中々晴れる事はありませんでした。
孫権の呼びかけに応じない
兄陸遜は二十一歳の時、孫権から招聘され仕える事になります。この時弟である陸瑁にも声がかかりましたが、彼は孫権の招聘に応えませんでした。その理由は従祖父陸康が孫家のせいで殺された事を恨んでいたからです。その後州や郡からも「仕えないか」と声がかかりますが、彼はこの呼びかけに応じる事はありませんでした。
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