孫堅(そんけん)ってどんな人?「江東の虎」と群雄達から恐れられた孫策・孫権の父親

2016年3月28日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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董卓討伐戦に参加する為、進軍開始

董卓&呂布

 

董卓は宦官討滅戦で混乱していた洛陽に赴きます。その後献帝を擁して、朝廷の権力を掌握する為、彼に反対する臣を次々と殺害。強力な権力を作り上げ、暴虐の限りを尽くします。各地の実力者達は董卓の専横に怒り、袁紹を盟主にして連合軍を結成。孫堅も連合軍に参加するべく兵を率いて北上を開始します。

 

かつての恨みを晴らす

孫堅

 

孫堅は董卓討伐軍に加わるべく北上を開始します。北上中に武陵太守である曹寅(そういん)から檄文が届きます。この檄文には「荊州刺史王叡(おうえい)を討て」と書いてありました。孫堅はこの檄文に快諾し、荊州刺史王叡の居城へ向かいます。彼は王叡の居城に着くと「兵糧や武具、衣服などが無くなってきている為、援助してもらえないか。頼んで来い」と側近に伝えます。側近は王叡に孫堅の言葉を伝えます。王叡は孫堅の言葉を聞くと素直に城を開け、孫堅軍を城内に入れます。孫堅は城内に入り、王叡を見つけると素早く彼の胸元に剣を突き立てます。王叡は状況が呑み込めず孫堅に「なぜ私に剣を突きつけるのだ。」と問います。孫堅は「檄文にお前を殺せと書いてあったから、ここで処断させていただく。」と返答。王叡は再び孫堅に「私に何の罪があって殺すのだ」と聞き返します。すると孫堅は「そんなもんは知らん」と答え、彼を処断します。こうして孫堅は恨みを晴らします。

 

袁術の部下となる

袁術と劉繇

 

孫堅は王叡を処断した後、再び北上を開始します。彼は魯陽(ろよう)まで来ると、この地に駐屯していた袁術と出会います。袁術は孫堅の勇猛さを聞いており、彼を配下にするため、破虜将軍に任命するよう朝廷へ斡旋。孫堅は袁術の斡旋により破虜将軍に就きます。彼は袁術に恩を感じて配下となり経済的援助を受けながら、再び北上を開始します。

 

猛将華雄との戦い

華雄と呂布

 

董卓は南から孫堅軍が近づいていることを知り、猛将である華雄を派遣します。華雄は軍勢を率いて、陽人(ようじん)の地で孫堅軍迎撃の陣を構築。孫堅は陽人に董卓軍が駐屯していると報告が入ると、すかさず攻撃を開始します。陽人の地で孫堅軍VS華雄軍の激闘が始まります。両軍は当初互角の戦いを行っておりましたが、孫堅四天王と呼ばれる猛将達の活躍により華雄軍は次第に押され気味になり、孫堅が華雄を斬った事で、華雄軍は崩壊。こうして孫堅は華雄率いる董卓軍を壊滅させ、董卓軍との戦いで初勝利を飾ります。

 

快進撃を続けるも…

反董卓軍010

 

孫堅は華雄軍を壊滅させた後、洛陽へ向け進撃を開始し、董卓に味方した各地の城を陥落させます。こうして快進撃を続ける孫堅軍ですが、袁術からの兵糧が届かなくなります。袁術の配下となった当初は潤沢な兵糧が届きますが、次第に袁術からの補給が少なくなり、進軍が難しくなってきます。そのため孫堅は袁術が居る魯陽へ向かいます。

 

袁術にブチ切れる

袁術

 

孫堅は魯陽に着くと袁術が居る幕舎へ行きます。彼は袁術の姿を見つけると「私は漢王朝とあなたの敵討ち(袁家は董卓に多くの人が殺されている)の為に戦っているのだ。それなのに何の根拠もない讒言(ざんげん=わるい噂)を信じて、私を疑うのか。」と大声で怒鳴ります。袁術は孫堅に陳謝し、すぐに兵糧を送る事を約束します。

 

焼け野原となった漢王朝の都洛陽へ入城

董卓 呂布

 

孫堅は袁術からの補給が再開されると洛陽へ向けて進軍します。董卓は孫堅軍の強さに恐怖を抱き、彼と和睦する為、李傕らを使者として派遣しますが、孫堅は董卓からの提案を拒否。董卓は孫堅から和睦を断られると洛陽を焼き払い、長安へ向かいます。孫堅は焼け野原となった洛陽へ入城し、この地の復興に尽力します。

 

井戸の中から玉璽を見つける

井戸の中から玉璽を見つける孫堅

 

孫堅は焼け野原となった洛陽の復興を行います。孫堅軍の兵士や将が力を合わせ、洛陽復興に尽力します。孫堅は洛陽の南の地域の瓦礫を片付けていました。この時ある井戸の中から玉璽を発見。彼は玉璽を隠し持ち、すぐさま洛陽を出発します。

 

玉璽の行方

玉磁と孫堅

 

孫堅は玉璽を手に入れますが、袁術に強奪されてしまいます。袁術はその後、皇帝を名乗り、国を作ります。この時まで袁術は玉璽を手にしていたとおもわれますが、彼の死後玉璽の行方は分からなくなります。また「後漢書」には袁術に拘束された朝廷の臣が、彼の死後玉璽を取り返し、献帝に献上したと記しております。しかし献帝が玉璽を手にした事実はありません。一体皇帝の証となった玉璽は何処に行ったのでしょうか。

 

袁氏一門の争いに巻き込まれる

袁紹VS袁術(犬猿)

 

話を孫堅に戻したいと思います。袁紹と袁術は非常に仲が悪く、いつも敵対しておりました。袁紹は袁術に圧力をかけるため、劉表を味方に付けます。すると袁術は孫堅に「袁紹の味方になった劉表を討伐せよ」と伝えます。孫堅は袁術の命令を受託し、劉表の領地へ向けて進軍します。

 

黄祖との戦い

黄祖との戦い

 

劉表は孫堅が領地に侵攻してきたと知ると、黄祖(こうそ)に孫堅軍を追い払うよう命じます。孫堅は迎撃に出て来た黄祖を易々と撃破し、劉表の居城である襄陽を包囲します。

 

江東の虎と言われた猛将の最後

孫堅逝く

 

孫堅は襄陽を包囲している最中、黄祖が峴山へ入り込んでいくのを見かけます。彼は黄祖を討つため、単騎で峴山へ入り込んでいきますが、この行動が命取りになります。孫堅は単騎で黄祖を追いかけますが、山林に潜んでいた黄祖の兵が放った弓が彼の体を貫き亡くなってしまいます。孫堅死後、孫賁(そんほん)が兵をまとめて、襄陽の包囲を解き撤退します。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

陳寿は正史「三国志」で「孫堅は後ろ盾の無い状況から戦功を重ねて身を立て、戦では常に勇猛に戦い、張温に董卓を斬れと進言を行い、漢王朝に忠誠をもっていた」と高い評価をしています。しかし彼の勇猛さが仇となり、残念な最後を迎える事になります。彼がもう少し慎重な性格で、天運に恵まれていれば、孫家はもっと飛躍していたかもしれません。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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