【誕生秘話】西遊記は実話だった!?一人の僧侶の苦難の旅を記した記録から始まった

2016年4月1日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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大唐西域記こそ、西遊記の母体だった!

西遊記 三蔵法師

 

こうして、書かれた大唐西域記は、多くの中国人が見た事がない、

中央アジア、そしてインドの世界への空想を膨らませました。

それと同時に、冒険家のような大冒険の果てに、経典をもたらした

玄奘三蔵を神聖視する考えも産まれてきたのです。

 

10世紀頃には、玄奘は、一匹の虎を伴い、

宝勝如来(ほうしょう・にょらい)の庇護を受けて西域を旅する僧侶として描かれます。

一人旅ではなく、お伴がついている分、今の西遊記に近くなっています。

12世紀になると、玄奘取経図に描かれた、玄奘は、馬一頭、

それに、猴(こう:マカカ属の猿)を伴った姿になります。

 

西遊記 孫悟空

 

この猿が後の孫悟空になり、馬は三蔵法師の愛馬、玉龍になっていきます。

 

学生達の息抜きで写本され、物語が大きくなった西遊記

西遊記はどうやって

 

宋代になると、大唐西域記をベースにした大唐三蔵取経詩話

(だいとう・さんぞう・しゅきょう・しわ)という、

西遊記のベースになる読物が登場します、この中には、玄奘と猿、

それに馬が登場していました。

 

この話は、とても面白かったので、当時の科挙という官僚試験に挑む、

学生達が息抜きに写本していきました。

写していく過程で、学生達は、元の話に自分の考えたオリジナルの

話を付け加えたり、自作の詩を付けたりしました。

 

西遊記

 

西遊記は、こうして、孫悟空、猪八戒、沙悟浄と馬が登場し、

弱気なお坊さん、三蔵法師を助けて、天竺へ旅する話へと変化して行ったのです。

西遊記ライターkawausoの独り言

表情 kawausoさん01

 

学生達が写す段階で、色々なアイデアが加えられた結果、

初期の西遊記は凄まじく長く、重複が多い物語になります。

そこで、明の末期から清に入る段階で、商業出版に適したサイズに

変化していき、現在の百回本の形になったようです。

 

原作者は呉承恩(ご・しょうおん)とされていましたが、それ以前には、

丘長春(きゅう・ちょうしゅん)と信じられていて、現在でも断定できません。

その成立から考えても、無数の人間の手が加わっていると考えた方が

いいでしょうね。

本日のはじめての西遊記は、これにておしまい、

続きは次回のお楽しみ、カチカチカチ

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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