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大唐西域記こそ、西遊記の母体だった!
こうして、書かれた大唐西域記は、多くの中国人が見た事がない、
中央アジア、そしてインドの世界への空想を膨らませました。
それと同時に、冒険家のような大冒険の果てに、経典をもたらした
玄奘三蔵を神聖視する考えも産まれてきたのです。
10世紀頃には、玄奘は、一匹の虎を伴い、
宝勝如来(ほうしょう・にょらい)の庇護を受けて西域を旅する僧侶として描かれます。
一人旅ではなく、お伴がついている分、今の西遊記に近くなっています。
12世紀になると、玄奘取経図に描かれた、玄奘は、馬一頭、
それに、猴(こう:マカカ属の猿)を伴った姿になります。
この猿が後の孫悟空になり、馬は三蔵法師の愛馬、玉龍になっていきます。
学生達の息抜きで写本され、物語が大きくなった西遊記
宋代になると、大唐西域記をベースにした大唐三蔵取経詩話
(だいとう・さんぞう・しゅきょう・しわ)という、
西遊記のベースになる読物が登場します、この中には、玄奘と猿、
それに馬が登場していました。
この話は、とても面白かったので、当時の科挙という官僚試験に挑む、
学生達が息抜きに写本していきました。
写していく過程で、学生達は、元の話に自分の考えたオリジナルの
話を付け加えたり、自作の詩を付けたりしました。
西遊記は、こうして、孫悟空、猪八戒、沙悟浄と馬が登場し、
弱気なお坊さん、三蔵法師を助けて、天竺へ旅する話へと変化して行ったのです。
西遊記ライターkawausoの独り言
学生達が写す段階で、色々なアイデアが加えられた結果、
初期の西遊記は凄まじく長く、重複が多い物語になります。
そこで、明の末期から清に入る段階で、商業出版に適したサイズに
変化していき、現在の百回本の形になったようです。
原作者は呉承恩(ご・しょうおん)とされていましたが、それ以前には、
丘長春(きゅう・ちょうしゅん)と信じられていて、現在でも断定できません。
その成立から考えても、無数の人間の手が加わっていると考えた方が
いいでしょうね。
本日のはじめての西遊記は、これにておしまい、
続きは次回のお楽しみ、カチカチカチ
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」