まるでルイージマンション?曹操の自宅は、お化け屋敷だった!!英雄のお屋敷を徹底紹介!

2016年4月16日


 

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曹操 耳で聞いて覚える三国志

 

良くも悪くも、三国志で一番取り上げられる男、曹操孟徳(そうそう・もうとく)。

 

曹操議員

 

はじさんでは、詩のパクリ疑惑や未亡人好き疑惑、健康オタク疑惑や、貧乏症疑惑など、多くの曹操のゴシップを暴いてきました。そこで、今回は目線を変え、曹操さんのお屋敷を紹介したいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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意外に知られていない、曹操の屋敷の前にある闕(けつ)

 

三国志の時代、宮廷や貴人、豪族の建物の前には、闕(けつ)と呼ばれる櫓がありました。古くは観(かん)と言いましたが、そのものズバリで、外部からの来訪者を観察する為の建物で、木材や石で造られていたようです。

 

詳しくは、イラストを見ていただきたいのですが、闕は、メインの建物と左右の櫓から構成されています。左右の櫓には、橋が渡されているケースもあり、門番はここを往来しながら、怪しいヤツがこないか監視していたようです。

 

曹操が禰衡を見て激怒したのも、この闕

禰衡

 

さて、史実では、曹操が孔融(こうゆう)の推挙で、天下の奇人で全裸マニアの禰衡(でいこう)を自分の屋敷に招待するのですが、やってきた禰衡は、世にも汚らしい格好でやってきて、曹操の罵詈雑言を並べたようです。

曹操や許褚、荀彧の悪口を言う禰衡

 

それを闕の門番から聞いた曹操は、まさか禰衡とは思わず、左右の闕に登って見てみると、果たして、目一杯買いかぶりをしていた禰衡だったので、夢は一瞬で覚め、殺すのも名折れと紹介状つきで劉表(りゅうひょう)の所に送り届けています。

 

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闕を守る門番は、箒(ほうき)を持っていた

 

さて、この闕を守る門番は、箒を持っていた事が壁画や煉瓦に描かれた絵で分かっています。どうして、闕の門番が箒を持っていたかと言うと、位の高い人が訪問した時に、門を開いて、道を掃き清めるという習わしがあったからなのです。彼等は、普段は箒を逆さにして持ち、闕の前に造られた詰所のような所で立っていたようです。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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