李陵(りりょう)とはどんな人?キングダムの李信を先祖に持つ悲運の将軍【後半】

2016年5月4日


 

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李陵(りりょう)はこうして幾度も匈奴軍を蹴散らして、勝利を得ながら漢の国を目指します。

しかし匈奴軍の追撃は緩まることなく、繰り返し追撃を行ってきます。

李陵軍は漢と匈奴の国境100里地点(40キロほど)にある山地に入り、

小休止を取ります。

しかし李陵が小休止を取ったこの山を匈奴軍が包囲。

そのため李陵は死を決し、攻め寄せる匈奴軍を迎撃し、何とか勝利を得ます。

だがこの戦いで弓は尽き、刀は折れ、武器がほとんどなくなってしまいます。

 

前回記事:李陵(りりょう)とはどんな人?キングダムの李信を先祖に持つ悲運の将軍【前半】

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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矢尽き・刀折れ、匈奴に降る

信 キングダム

 

李陵はこうした危機的状況を正直に兵士たちに伝え、

残っている食糧を兵士達に分配。

兵士達に感謝の言葉をかけながら、山を下りるように伝えます。

こうして兵達に兵糧を配り終えた李陵は、兵士達をバラバラに下山させ、

側近と共に自らも逃走を図ります。

このとき彼に付き従ったのはたったの数十人でした。

匈奴の単于は李陵の部隊を捕捉し、激しい攻撃を仕掛けてきます。

李陵は力の続く限り戦いますが、側近の武将は討たれ、

数十人の兵士達は皆討たれてしまいます。

李陵は奮闘むなしく、ついに匈奴へ降伏することになります。

 

 

李陵の降伏に激怒

 

武帝は李陵が降伏したことを知って激怒し、

李陵の処罰をどのようなものにするか、会議を開きます。

群臣は武帝の怒りを恐れ、「李陵を罰するべきである」と武帝に進言します。

しかし一人の臣下が群臣の意見に真っ向から反対します。

その臣は会議の内容を記録する係として参加していた司馬遷です。

 

たった一人で李陵を弁護

 

武帝は何となく司馬遷(しばせん)に「意見があるなら言え」と

進言を促します。

彼は末席から「李陵は武勇に優れており、衛青大将軍亡き後、

漢軍を率いるにふさわしい器量を持っていると思います。

その証左として、5千の兵士で数万の匈奴軍に何度も勝利を得ております。

最後の一兵士になるまで戦い抜き、

どうにもならなったため、降伏したとの報告がございます。

そのため、一度彼の戦いぶりをしっかりと調査した後で、

罰しても遅くはないと思います。」と毅然とした態度で武帝に進言。

武帝は彼の意見を聞き、表情に怒りを表します。

「黙れ。朕(ちん)はお前にそのような意見を求めていない。」と言い放ちます。

そして武帝は群臣を解散させ、奥へ下がります。

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

 

男の大事なところがきられる

 

司馬遷は武帝からキレられ、宮殿から下がります。

その数日後、家に役人が訪れてきます。

その役人は司馬遷に「腐刑に処す」と伝えてきます。

腐刑とは男の証である大事なところをぶった切る刑です。

役人は司馬遷に「大金を払えばこの刑を逃れることができる。」とも伝えます。

すると司馬遷は「そんな大金は家にありません。刑を受けます。」と

言い、腐刑を受けます。

想像するだけで痛さを感じることができると思います。

司馬遷は大事なところをちょん切られ、生死の境を彷徨うこと数日、

何とか命を繋ぎ留めます。

 

奥さんをはじめ一族すべてが殺される

 

李陵は匈奴に降ってから数年後、単于に呼ばれます。

単于は李陵が来ると、

沈痛な面持ちで「李陵。お前に知らせなければならないことがある。」と言います。

李陵は「何でしょうか」と単于の表情を伺いながら尋ねます。

単于は「お前の一族が漢の皇帝に殺された」と悲しい表情をしながら伝えます。

李陵は何を言われたのか分からなかったが、数分の沈黙後、

単于からの言葉を理解し、単于に何も伝えぬまま出ていきます。

 

一族が全員殺される

 

李陵の一族が殺された原因は漢の将軍である公孫敖(こうそんごう)が、

誤った情報を武帝に伝えたことが原因です。

彼は匈奴に遠征した際、匈奴の兵士を捕虜にします。

この捕虜に李陵の様子を聞きます。

すると捕虜は「李陵将軍が匈奴軍に戦術を教えてくれて言います。」と

述べます。

公孫敖は捕虜の言葉をそのまま武帝に伝えます。

すると武帝は激怒し、李陵の一族すべてを殺害します。

しかしこの情報は間違っていたのです。

 

誤報が伝わった原因

 

なぜ間違った情報が武帝に伝わってしまったのでしょうか。

原因として考えられるのは、

捕虜となった匈奴軍の言葉を翻訳した人が間違えて、翻訳したことが考えられます。

漢語と匈奴の言葉は違い、匈奴の言葉がわかる翻訳者が必要です。

匈奴の兵士は翻訳者に李諸と伝えます。

しかし翻訳者が李諸(りしょ)と李陵を聞き間違えて、公孫敖に伝達。

公孫敖はこの間違えた情報を武帝に伝えた事が原因で、

李陵の一族が全員殺されてしまうことになります。

 

怒りと悲しみに打ち震える

 

李陵は単于の元から去ると、怒りと悲しみにより、

あたりかまわず八つ当たりします。

単于は彼が荒れていることを知りますが、黙認。

そして自分と同じ姓を持った李諸を憎み、彼を殺害します。

 

単于に命を救われる

 

李陵に殺害された李諸は単于の母と親密な関係にありました。

そのため単于の母は李諸を殺した李陵を憎み、単于に彼を罰するよう懇願します。

単于は母の懇願を一度はやり過ごします。

だが彼女は単于が李陵を罰しないことに怒りを覚え、

李陵の殺害をもくろみます。

単于は母が李陵の殺害を試みていることを知り、

彼の命を助けるため、寒さの厳しい北方へ行くよう命じます。

こうして李陵は単于に命を救われ、母が亡くなると、

すぐに李陵を呼び戻し、従来通りの暮らしをさせます。

 

李陵(りりょう)は匈奴に降伏しましたが、匈奴に忠誠を尽くそうとは、

思っておりませんでした。

だが李陵が寝返ったと武帝は思い込み、彼の一族を殺害。

李陵は自分がいまだに漢に忠誠を持っているにも関わらず、

自分の一族すべてを殺した漢を見限り、命を助けてくれた匈奴の人間として

生きていくことを決意します。

 

単于の娘と結婚し、新たな人生を歩む

 

単于はある日李陵を呼びつけます。

単于は李陵が来ると「お前にわが妹を嫁がせたいと思っているのだが、

どうだろう。」と婚姻の話を持ち掛けます。

李陵は驚きますが、自分を心配してくれている単于の気持ちを汲み、

単于の申し出を受けます。

単于は李陵が婚姻の申し出を受けるとは思っていないかったため、念を押します。

李陵は「単于殿の申し出を受けようと思っています。

どうかよろしくお願いします。」と伝えます。

単于は大いに喜び数日後、李陵と自らの娘の婚姻式を挙げ、

李陵を匈奴の右校王に任命します。

李陵はこうして匈奴の地で新たな人生を歩むことになります。

 

匈奴軍の将軍として出陣

 

李陵は単于の娘を娶り、新たな生活を匈奴の地で始めます。

李陵は右校王となってから数年後、

単于から「漢の李広利(りこうり)が再び、匈奴へ侵攻をしてきた。

李陵よ。匈奴の軍勢を率いて迎撃に出てくれぬか。」と要請。

李陵は単于の要請を受け、匈奴軍を率いて李広利の軍勢を迎撃。

李陵は李広利軍を見事に撃退し、単于がいる匈奴の都に凱旋します。

彼はその後も漢軍と幾度も戦い、

武功を挙げ匈奴のほかの王や群臣から認められて行き、

匈奴になくてはならない存在になっていきます。

 

単于の依頼

 

李陵は単于から「北海のほとりに住んでいる漢の臣に降伏してくれるよう

説得してくれぬか。」と依頼します。

李陵は単于の依頼を受け北海に一人で向かいます。

この地に住んでいるのは蘇武(そぶ)という漢の元使者でした。

蘇武と李陵は武帝に仕え、親友でありました。

 

親友との出会い

 

李陵は北海に着くと蘇武の家を訪れます。

蘇武は李陵の顔を見ると大いに喜び、彼を出迎えます。

こうして再会した二人は夜遅くまで、酒盛りを行います。

二人は昔話で大いに話が弾んでいきます。

 

親友に心を込めて説得するも…

 

李陵は昔話で場が和んだところで、

蘇武に「蘇武よ。お前はいつになったら匈奴に降るのだ。

お前の兄弟は武帝に殺害され、お前の母親もすでに亡くなったそうだ。

俺はお前と同じく身は匈奴に降伏しても、

心までは降るまいと決意を固めていた。

しかし俺の忠義の心に対して武帝は一族すべてを殺害することで報いた。

俺はこのことを知った時、漢に忠義を尽くすことを止め、

匈奴の人間として生きることを決意した。

蘇武よ。匈奴の単于はお前のことを認め、

匈奴の人間として共に生きてほしいと願っている。

暴君といってもいい漢の武帝にいつまでも忠義を立てていても、

意味はないぞ。」と

心を込めて説得します。

蘇武は彼の言葉を聞くと黙ってしまいます。

 

漢に忠義を立て続ける臣

 

蘇武は李陵の言葉を聞き、しばしの沈黙の後、李陵に思いのたけを伝えます。

蘇武は「俺は何の功績も無いのに武帝に引き立ててもらった。

俺が漢に忠義を立てるのは子が親に仕えるのと同じだ。

子は父のために死ぬことがあっても、父を恨むことはしない。

これが俺と漢の国との関係だ。

だから俺に「匈奴へ降れ」なんて言わないでくれ」と

李陵の説得を受け入れませんでした。

その後も李陵は数日蘇武の家で暮らし、説得を幾度もしますが、

彼は受け入れませんでした。

 

漢との敵対関係が終幕を迎える

 

李陵は蘇武の説得に失敗を単于に報告します。

単于は残念そうに頷きながら、彼をねぎらいます。

月日は流れ、漢と匈奴は講和を果たし、敵対関係が解消。

その後講和が成立すると、漢の使者が匈奴との親睦を深めるためやってきます。

漢の使者は「匈奴にいる漢の使者・蘇武を返還してほしい」と伝えます。

単于は「蘇武はもう亡くなって数年が経つ」と嘘を付きます。

この嘘は漢の使者にすぐにばれてしまい、蘇武を返還することになります。

 

親友との別れ

 

単于は蘇武を都に連れ戻し、帰国の準備を始めさせます。

単于は蘇武が帰国する当日、漢の使者を招いて宴会を催します。

この宴会に李陵も出席し、彼の帰国を祝います。

このとき李陵は蘇武に自分の心情を伝えています。

 

蘇武に思いのたけを述べる

 

李陵は帰国を祝う宴席の席で蘇武に

「子卿(しけい=蘇武のあざな)よ。君は祖国に帰ることが決まり、君の漢に対する忠烈は

匈奴に響き渡り、漢も君の功績を認めた。

しかし漢の朝廷は私が生きていることを憎み、一族をすべて殺した。

そのため私は匈奴に降ることを決意した。

私は国家に背いた不忠者だが、国家も私に対して報いることをしなかった。

だから私を帰国させようと漢の皇帝に直訴はしないでほしい。

わが親友よ。漢に帰ったらしっかりと幼い皇帝に仕え、君の力を存分に振い、

気が向いたらこの匈奴の地に手紙を送ってくれ。

今生の別れだ、わが親友・蘇武よ。」と李陵は涙を流しながら、自らの心情を伝えます。

蘇武も李陵の心のこもった餞別の言葉を涙を流しながら聞き入ります。

こうして二人は生きている間に再開することなく、亡くなります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

李陵のように不幸を一身に集まった将軍も珍しいのっではないでしょうか。

李陵の将軍としての実力は衛青・霍去病亡き後の

漢軍を背負うべき人材であったと思います。

5千の兵士で数万の匈奴軍と幾度も戦い勝利を収めていることが、

彼の戦の巧さを表しています。

もし、彼が漢の地に戻ることができたら、

匈奴は砂漠の向こう側へ逃げなければならなかったかもしれません。

ついでに李陵の物語は小説家・中島敦(なかじまあつし)が書いた

「李陵」が非常に有名であり、日本人にとってもなじみの深い人物です。

よかったら読んでみてはいかがでしょうか。

「今回の前漢のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~。」

 

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楚漢戦争

 

 

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