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董卓死す
董卓は長安へ遷都し、連合軍からの攻撃をかわします。そしてその後も好き放題やっておりましたが、董卓の横暴ぶりに怒りを感じていた王允(おういん)。彼は呂布を味方につけて董卓殺害を計画します。
王允は皇帝から詔勅をもらった後、呂布に董卓を殺害させます。こうして天下に悪名を轟かせた董卓は亡くなります。韓遂と馬騰らは董卓が殺害された事を知るととりあえず兵をまとめて、今後の事について協議を重ねていきます。
王允が政権を握る
董卓死後、王允と呂布が長安で漢の政権を運営していきます。王允は内政に従事し、呂布は軍事に携わることになります。しかしこの政権に大きな問題が一つ残されておりました。それは董卓の残党軍をどうするかという問題です。王允は漢の政権を安定させるために、この問題を先送りにしておりました。
李傕と郭汜が長安を陥落させる
董卓軍の残党である李傕(りかく)と郭汜(かくし)らの諸将は、長安の政府が何も行ってこないため途方にくれます。そんな時、董卓軍の残党である張済(ちょうせい)軍の軍師である賈詡(かく)が李傕と郭汜らに策を与えて、長安へ攻撃するよう扇動します。董卓軍の残党は賈詡の策を採用して、長安に攻撃を仕掛けてきます。王允は呂布や徐栄らに迎撃するように指示を出します。呂布や徐栄らは軍勢を率いて、李傕と郭汜らの軍勢を迎撃します。
だが李傕と郭汜の軍勢は死に物狂いで戦いを行っていた為、指揮がものすごく高く呂布軍をあっという間に蹴散らし、徐栄を討ち取ることに成功します。李傕と郭汜は両軍を蹴散らすとそのままの勢いで長安を陥落させ、呂布を追い出し、王允を殺害します。こうして漢の王朝は董卓軍の残党が握る事になります。
李傕と郭汜から将軍の位をもらう
韓遂と馬騰らは下手に動かず、長安近辺で駐屯しておりました。そして彼らは李傕と郭汜らの董卓の残党らが長安を陥落させたことを知ります。二人は彼らの政権へ近づくため、長安へ向かいます。李傕と郭汜は長安近辺に大軍で駐屯している韓遂と馬騰が長安へやってくると、二人を懐柔するため、韓遂には鎮西将軍を与えます。馬騰には征西将軍の位を与え、二人を優遇します。そして韓遂と馬騰が同じところにいると、何かがきっかけで長安へ侵攻されると危険であるため、韓遂を金城へ赴任させ、馬騰には長安近辺の郿(び)へ駐屯するように命じ、二人が協力体制を取れないようにします。馬騰と韓遂はそれぞれの任地に赴きます。金城へ着任した韓遂はここで兵士をよく訓練し、民衆を手なずけ次なる反乱の機会を待ちます。
反乱の機会が訪れるも…
李傕と郭汜の二人も董卓に負けないくらいの暴政を行います。この二人の暴政に民衆は恐怖を感じます。また朝廷内でも不満は高まっていきます。そんなある日韓遂に漢の朝廷から密使が届きます。密使は「李傕と郭汜を退治してほしい。あなた達が軍を率いて長安へ攻撃を仕掛けて来たら、私達は城門を開けてあなた達を向かい入れる手はずは整っています。どうか漢の朝廷を救ってください」と懇願します。韓遂はこの密使の言葉と手紙を受け取るとさっそく義兄弟である馬騰へ連絡します。馬騰のところにも同じような密使が来ていた事もおりました。話し合いを幾度も重ねた結果、韓遂と馬騰は李傕と郭汜へ反乱を起こす決意を固めます。
反乱は失敗に終わる
韓遂と馬騰に密使を出した漢の朝廷の臣下は、二人が李傕と郭汜を退治してくれるとの返信をもらうとさっそく反乱の準備を行います。韓遂と馬騰は軍を率いて、長安近辺の長平観(ちょうへいかん)という場所に陣を張って進出します。しかしこの地にまで来ていた二人に思いがけない知らせが入ります。なんと反乱の準備をしていた漢の朝廷の臣下が捕まって処断されたとの報告を受けます。二人は話し合った結果、反乱が成功しないと判断し、それぞれの任地へ戻っていきます。その後、将軍の位を降格されることになりますが、それ以上の追及を受ける事はありませんでした。
次回記事:韓遂(かんすい)とはどんな人?生涯の大半を反乱にささげた不屈の反骨心【後半】