【キングダムに描かれない】秦の時代の貧困のリアルを追ってみる

2016年6月27日


 

桓騎

 

大人気、春秋戦国時代漫画キングダム、、毎回のように急展開の連続で、

特に最近は、信がついに桓騎の卑劣な戦術について爆発し、もしや仲間割れか?

というような状態ですが、さて、この華やかなドラマの裏で

当時の貧困層の人々のリアルとはどういうものだったのでしょうか?

今回は漫画ではクローズアップされない秦国内の貧困について追います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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貧困層は城壁の外に住んでいた

疫病 村02b

 

春秋戦国時代の昔、中国は小さな村や個人宅まで塀に囲まれていました。

もちろん、郡や県も長さ数キロの城壁に覆われていたのです。

しかし、そのような塀の内側に住める人はまだ恵まれているほうでした。

実際には、負廓(ふかく)といい、城壁の外に粗末な家を建てて

住まざる得ない貧民が大勢存在していたのです。

これを負郭窮巷(ふかく・きゅうこう)と言いました。

 

城壁の外に住んでいる貧乏人の集まる地域という意味です。

馬車

 

一方で金持ちは、自分では耕しきれない田畑を持ち

使いきれない財宝を保有して、豪華な馬車に乗り、

大通りを我がモノ顔で走っていました。

 

全体主義で貧富の差が他の国よりも少ないイメージの秦ですが、

貨幣経済が早くから発達していた経緯もあり、

実は超格差社会であったという事が負郭の存在から分ります。

 

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門は筵などで造りスラム化していた

疫病 村

 

そのような負郭に住む人々は、当然のように日々の暮らしにも事欠く貧困層の人々でした。

彼等の住宅は粗末な掘っ立て小屋であり、家の門は木を一本土壁に渡し、

そこに筵(むしろ)などを掛けてあるだけでした。

 

彼等は、日中は城内で日雇い仕事を探して歩き、

市場では物乞いをし何もする事がない時には道端で寝転がっていました。

彼等は、身分上は奴隷でも下僕でもありませんが、お金がない為に

差別の対象ですらあったのです。

 

犯罪者予備軍と見られ、市場で泥水を掛けられた負郭の人々

疫病 村

 

負郭に住む人々は、その不衛生な姿と、物乞いなどの行為から、

犯罪者の予備軍や伝染病の元凶とみなされ、公然と差別されました。

史記の陳丞相世家には、そんな負郭の人の一人 陰生(いんせい)の話があります。

 

「陰生は長安の渭(い)橋の下にいた乞食でいつも市場で物乞いをしていた。

市場の人は嫌がり、泥水をぶっかけて追い払った。

だが、しばらくして市場に戻ってくると衣服も元通りで汚れもしていない。

やがて陰生は市場から姿を消してしまった。

ある時、陰生に泥水を掛けた市場の人の家は勝手に倒壊し十数人が死んだ人々は

乞食には美味い酒を飲まさないと祟りがあると噂した。」

 

これは漢代初期の伝説の類ですが、春秋戦国時代も大差はないでしょう。

当時、このような乞食が大勢いた事を物語っています。

 

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負郭にあった大金持ちの田畑

鮑信と于禁

 

一方、負郭の人々の近くには、よく肥えた田畑が広がりました。

それは負郭の人々の田ではありません。

春秋戦国時代の秦では、田畑は城壁の外にあったのですが、

利便の関係で金持ち程、都市の近くに田畑を持っていたのです。

 

こうして貧しい人程、都市から遠い場所に田畑を持つようになり

一番貧しい人は耕作しても日帰りできない場合がありました。

 

もちろん、金持ちは奴隷を使って耕作していました。

負郭には、金持ちの田畑と貧困層の人々の粗末な家が同居していた

という事になるのです、何と言う皮肉でしょう。

 

また身分上は奴隷であっても、持ち主である金持ちの家の中に

住んでいたので奴隷は城壁の中の住人という事になります。

城壁の中に住む事が許されない負郭の人々は、

それを複雑な気持ちで見ていたのです。

 

戦争では真っ先に犠牲になった負郭の人々

信 キングダム

 

負郭の人々がもっとも悲惨だったのは、戦争の時でした。

彼等は城壁の外に住んでいるので守られず、時には見捨てられます。

侵略軍に最初に虐殺され蹂躙されるのは、負郭に住む人々だったのです。

このようにキングダムの世界の暗部では、貧困が差別と生命の格差さえ

産んでいたというシビアな現実があるのです。

 

春秋戦国ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

このようにキングダムの時代は商業優先の超格差社会でした。

秦を倒して天下を取った劉邦は、あまりにも不公平な社会を是正しようと

商人に課税して役人にもしないなど重農主義を採用して国力を回復させます。

それは、貧富の差を何とかしてくれという時代の要請だったのです。

 

本日も悠久の春秋戦国時代に乾杯・・

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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