【春秋戦国時代】秦が15年で滅んだ6つの理由を分かりやすく解説!

2016年6月10日


 

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政

 

大人気春秋戦国時代漫画、「キングダム」いよいよ、秦王政の加冠の儀も終わり、天下統一への一歩を記し始めますが、後世の私達は、秦王政の千年の太平の願いも虚しく秦王朝が15年で崩壊した事実を知っています。

 

では、秦が短期間で滅んだ理由は、何だったのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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人民を休ませず、大土木工事を繰り返した

始皇帝

 

紀元前221年、六国を滅ぼした始皇帝は、休む間もなく自身の墓、驪山陵(りざんりょう)の造営や、巨大な宮殿である阿房宮(あぼうきゅう)、そして北方の匈奴に備えて、万里の長城の建設に着手します。

 

500年の戦乱に疲れ果て、やっと天下が統一されてのんびり暮らせると思い込んでいた中華の民は、100万人単位で強制的に土木工事に動員され、それは、やがて深い恨みに変化していったのです。もし、始皇帝が、これらの作業を急がず、10年でも民力を休養させれば秦が短期間で崩壊する事は無かったでしょう。

 



事前の予告もなしに、厳しい秦の法律を中華全土に適用した

始皇帝

 

秦は厳格な法律を採用して、強くなった国でした。法を破ると王族でも処罰され、法を守り手柄を立てると、どんなに卑しい身分でも褒美がありました。秦の人々は、これにより法を恐れ、敬い、持てる力を振り絞ったので、秦は短期間で中華の強国になったのです。

 

しかし、秦以外の六国の法律は、秦とはまるで違いました。ですが、秦はそんな事はお構いなしに、いきなり秦の法律を六国の民に押しつけたのです。

 

当然、それまで合法だった事がいきなり不法になり、多くの人民が処罰されました。秦滅亡の切っ掛けになった陳勝(ちんしょう)・呉広(ごこう)の乱も、

 

「予定の日までに目的地に到着できなければ、どんな理由があろうと、人夫を引率した人間は死罪、人夫は罪人に落とす」という秦の苛酷な法律に、陳勝と呉広が猛反発したからです。

 

二人は長雨で河が増水したので、足止めを喰いますが、それでも秦の法律では罪を免れませんでした。そこで「どうせ死刑なら」とヤケクソで蜂起したのです。六国に対しては、秦の法律をいきなり施行せず、徐々に慣らしていったなら、陳勝・呉広の反乱も、起きなかったかも知れません。

 

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度重なる暗殺未遂で始皇帝が疑心暗鬼になった

張良㈮ 暗殺編05 力士

 

始皇帝は記録に残るだけでも、3回の暗殺未遂に遭遇します。一番最初は、有名な刺客・荊軻(けいか)による暗殺未遂、、

 

張良㈮ 暗殺編09

 

二度目は後に劉邦の軍師になる張良(ちょうりょう)の雇った力士に巡幸途中、室伏クラスの30キロ特大ハンマーを投げられ、馬車を破壊されますが、偶然、その時、馬車の外にいた始皇帝は無事でした。三度目は、お忍びで城下を歩いている時、いきなり刺客に襲われますが、この時には護衛により、刺客が捕らわれ無事でした。

 

趙高 キングダム

 

ですが、度重なる暗殺未遂に始皇帝は、他人を信用しなくなり、宦官、趙高(ちょうこう)のようなお気に入りばかりと会うようになります。それが、最後には、遺言書を趙高に書き換えられる事に繋がり、趙高の保身による、皇族や重臣、将軍の大粛清へ突き進んでいきます。

 

これで、最強の秦軍は弱体化して、家臣は趙高に媚びを売る人間ばかりが残る事になり、秦は崩壊を早めてしますのです。

 

始皇帝が疑心暗鬼にならず、趙高のようなお気に入りばかりを重用しなければ、本当に二世皇帝になるべき、扶蘇(ふそ)は有能でしたから、趙高がのさばる事も大粛清もなく、秦は短期間で滅亡しなかったでしょう。

 

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中央集権制の弊害が反乱軍を鎮圧できなくする

始皇帝

 

始皇帝は、中国史上初めて、各地に王を置かない、中央集権制を採用し、ここに中国は、一人の皇帝が独裁的な権力を握る帝国になります。

 

中国は36の郡と無数の県に分かれて、各地に長官が置かれ、定期的に人事異動する事で、土地と役人が結託する事が防がれます。すべての軍権は皇帝だけが持っていて、役人はただ、命令を出し、税金を中央に上げる仕事になったのです。

 

ところが、いざ、反乱がおきると、郡と県の長官は軍を動かす権利がないので、反乱軍と戦う事が出来ません。そればかりか、皇帝と何の血縁もない役人達は、援軍が無いと分ると進んで反乱軍に協力して、自分達も秦に背いたのです。これは、陳勝と呉広の反乱を勢いづかせて、秦が滅ぶ速度を結果的に早める事に繋がります。

 

張良 劉邦

 

 

秦の次に天下を取った劉邦(りゅうほう)は、この秦の失敗に学び、中国の半分に、自分の子供や重臣を王にして派遣し、もう半分に郡県を置く、郡国制を敷いています。

 

自己PRの為に、長大な道路を整備して恨みを買う

張良㈮ 暗殺編04

 

始皇帝は、自分が史上初めて、中華を統一したという強烈な自負があり、そんな偉大な自分の姿を天下万民に披露したいと思いました。

 

始皇帝 キングダム

 

もちろん、始皇帝が選挙活動よろしく、自転車をチャリリーンと漕ぎつつ「どうも~始皇帝でーす」と言いながら中華全土を回るわけではありません。

 

豪華絢爛な馬車や騎兵を何百と連ねていくのですから、その馬車が通る為の道路の建設や一行が泊る場所の選定、食事の提供というのは、始皇帝が通過する土地の人々にとって、大きな負担としてのしかかります。そんな始皇帝の顔も、当時の人が鬼か悪魔かと恐れたような姿でもなく、ただのデブチンのおっさんでした、当然です、ただの人間ですからね。

 

「こんなデブチンが皇帝なら、俺だってチャンスを掴めば皇帝になれる」

 

そう思う人間が各地に出現し、始皇帝の自分をお披露目するPRは、ただ、人民の恨みを買い、俺も皇帝になれるという反乱分子を増やしたというだけに終わりました。

 

実は、始皇帝にとっても、五回に及ぶ大巡幸は、健康を損ね、寿命を縮めるものであったようです。それなら、大人しく宮殿にこもっていた方が、もう少し自分の寿命も秦帝国の寿命を延ばせていた事でしょう。

 

死の恐怖に怯え、インチキ不老不死薬で寿命を縮めた

不老不死 始皇帝

 

 

始皇帝の父は、子(しそ)と言いますが、王位について早く死にます。その事で、始皇帝は自分は短命なのではないか?という恐れを早い頃から持っていました。

 

それでも、少年王として、国内、そして国外の戦いに忙しい間は、とても寿命を考えている暇などありませんでした。ところが、40歳を迎える頃に天下が統一され、いよいよ、何の心配もなくなると、再び死の恐怖が頭を支配します。

 

不老不死 始皇帝

 

「俺は地上に唯一の皇帝だ、つまらない庶民のように、寿命があるなんてオカシイじゃないか?どこかに不老不死の薬がある筈だ、それを手に入れよ!」

不老不死を求める始皇帝

 

始皇帝は死を恐れるあまり、怪しげな方士や道士を重用し、多額のお金を与えて、仙人を探して不老不死の薬を得るように言いそれが上手くいかないと、不老不死の薬を造るように命じます。

 

不老不死を求める始皇帝

 

ところが、その薬の主原料は丹砂(たんしゃ)と呼ばれる猛毒の水銀でした。始皇帝は、この猛毒の水銀を不老不死の薬と信じて服用し、短期間で健康を損ね、満49歳という短くも長くもない年齢で、死んでしまうのです。

 

病に倒れる始皇帝

 

よくよく考えると、始皇帝の曾祖父の昭襄(しょうじょうおう)は長生きしているので水銀さえ飲まなければ、始皇帝の寿命はもう少し伸びたかも知れません、死を恐れる余り、始皇帝は自分で寿命を縮めたのです。

 

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キングダムライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

巨大な秦帝国の滅亡には、幾つかの要因が絡んでいますが、一口に言うと、急ぎ過ぎという事があげられるでしょう。漢の高祖、劉邦は、秦の失敗をよく研究し、項羽を滅ぼして、中華を統一すると、何もしない休養の期間を50年も続け、税金も非常に安く抑えて、静かにしていました。

 

それにより傷んだ国土は回復し、人民は活力を取り戻し、中華は復活を遂げる事になります。始皇帝は性急な性格が災いし、国を滅ぼしてしまったのです。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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