日本でも大激震ニュースなイギリスのEU離脱問題。
国民投票の結果、予想を覆し、EU離脱派が残留派を100万票上回り
イギリスの2年後のEU離脱が決定しました。
それを受けて、株価も大幅に下がり、ようやく円安になっていた日本も、
ユーロ安の煽りで円高に転換、日銀が資金を市場に流す事態になっています。
そんなイギリスのEU離脱ですが、
そもそも、どうしてイギリスはEUを抜けたのでしょう?
EUとは欧州連合の略・・
そもそも、EUとは何なのかというと、
European Unionで欧州連合を意味しています。
そもそも、ヨーロッパは第二次世界大戦の前には、
世界中に植民地があり、非常に勢力が強い地域でした。
ところが、第二次大戦後は、欧州が戦場になった上に
植民地で独立運動が相次ぎ、さらに戦後はアメリカが超大国になり
北にはソビエトの共産圏がありました。
さらにアジア市場も次第に強くなり、欧州は個々の経済力では、
これらに対抗できなくなっていたのです。
そこで欧州は主権国としての垣根を下げて、
まずは経済から一体化していこうと関税を撤廃し、
国境も自由にして、ゆるやかな連合国を目指します。
さらに通貨も統一してユーロに統合しました。
これを三国志に例えてみよう・・
では、EUを三国志の話として例えてみましょう。
以下はあくまでもフィクションです。
蜀と呉は、両国を合わせても、魏の国力の半分にもなりません。
もちろん、呉蜀は現在でも同盟関係ですが、それでは魏に分断されて
各個撃破されてしまいます。
そこで蜀の丞相の諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)は、
孫権(そんけん)にこんな話を持ちかけました。
孔明「呉蜀を経済的に連合して人と物の出入りを自由にしましょう。
両国の産物には税金を掛けないようにして購入しやすくし
最終的には、一つの国になれるようにすれば、別々に、
曹操に対抗するよりも、強くなれます」
孫権は、これを重臣会議に掛けましたが、
対等な関係だし、呉が損をする事はないと思い承諾しました。
トラブル続出 激怒する孫権
しかし、いざ呉蜀連合を結んでみると、トラブルが続出します。
貧乏で法律も厳しい蜀から、豊かで法律が緩い呉に、
大量の民衆が雪崩こんできたのです。
漢民族ばかりではなく、異民族も含まれているので、
呉は急いで通訳を養成しないといけなくなりました。
もちろん、反対に貧しく法律が厳しい蜀に移動する民衆はいません。
せめて貿易ではと思っても、自給自足の蜀の経済は呉の品物を
あまり必要とはしませんでした。
逆に蜀の産物は、関税が掛らないので、激安で
ドンドン呉に流れこみ、呉の地場産業を圧迫していきました。
孫権は激怒して、なんとかするように孔明に手紙を書きます。
しかし、孔明の返事は、
孔明「呉蜀連合は対等です、呉が損をするのは
呉の努力が足りないだけで我々の責任ではありません」
という一点張りでした、確かに全てにおいて呉と蜀は対等です。
しかし、両国には貧富の差があり、政治体制の差がありました。
それが、より豊かな呉の方に一方的にしわ寄せをもたらす、
原因になったわけです。
イギリスは、EUの負の部分を背おわされた
イギリスの立場は、まさに例え話の呉と同じ状態であると言えます。
EUでも屈指の豊かな国であるイギリスには、28カ国あるEU加盟国で
とりわけ貧しい、ブルガリアやルーマニアから大量の移民が入ります。
毎年三十万というレベルです。
しかしイギリスは、これらの人々を追い出す事が出来ません。
ばかりか、生活を保障し教育の機会も自国民と同様に与えます。
もちろん最低限の生活保障もしてあげないといけません。
これはEUの協定があり差別を禁止している為です。
もちろんイギリスはEU加盟国の商品を安く買えるというメリットもありますが、
EUの貧乏な国々をイギリス人の税金で食べさせている感じがして
イギリスの高齢者層には不人気でした。
そして国民投票の結果、イギリスはEUを離脱したのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
物事には、様々な面があります。
今回のイギリスのEU離脱の報道も、日本ではイギリスが右傾化して、
移民排斥が始まったのだとか、、イギリスは孤立主義を歩んだというような
EUを人類の理想、世界政府の到達点のように考えた論評が多いです。
しかしながら、その半面には、EU加盟国の経済格差や移民問題
そのような不公正にEUが対応できなかった点もあるのです。
こうして多角的に事件をとらえるとイギリスのEU離脱も
やむをえない事かなとkawausoは思います。
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