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韓信は夏侯嬰に数学の腕前を披露した・・
しかし、見た目だけで韓信に数学の才能があるなんて
夏侯嬰に見抜けるわけありません、これは助命された韓信がすかさず、
韓信「実は俺様には、数学の腕前がありまっせ、、
どうでしょう?ここは一つ、俺様を大将軍に任命とか・・
なんちて、なんちて、ウヒョ!」
とか言いつつ、暗算をすらすらやってのけたに違いありません。
そこで夏侯嬰も、「こいつ、数学できるやないか・・」と気に入り
重職である治粟都尉を任せたのでしょう。
全軍の命綱である食糧や物資の全てを握る仕事ですから、
韓信は夏侯嬰の心も鷲掴みしたに違いないと思います。
韓信独学論に疑問符が・・
韓信は、誰にも師事しないで独学で兵法を習得した天才だと考えられていますが、
兵法ならまだしも、数学は独学で上達するとは考えにくいです。
それも四則演算程度ではなく、代数学や方程式を扱うような
高度な計算技術が、一軍の物資を取り扱う人間には求められます。
当時の数学は、現在の高校で学ぶレベルまで到達していたと言われるので、
まったく独学で韓信が数学を覚えたとは考えにくいのです。
韓信は商人の手伝いで数学を学んでいた・・
しかし、淮陰の貧乏人で通る韓信に、学問の師につく金があるとは思えません。
そこで思いつくのが、各地を放浪していた韓信は、行商人の手伝いで、
物資運搬の仕事についていたのではないか?という推測です。
大商人、呂不韋(りょふい)の例に限らず、当時から七国を股にかけて、
活動している商人は存在していました。
元々、放浪癖がある韓信が、それに加わり仕事を手伝っていても
あまり不自然はないのではないか?と思います。
元々、数学の才があった韓信は、この仕事を嫌がらず続け、
その後、天下が乱れたので、いよいよ野望を叶えようと
商売の手伝いを辞めて反秦連合軍に身を投じたのではないでしょうか?
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春秋戦国ライターkawausoの独り言
何の根拠もありませんが、韓信の天才的な戦略のセンスは、
非常に数学的な感じがします。
韓信にとっては、兵士も数字も同じ事で、必要な部分に振り分け
最大の利益を得れる所を探しただけかも知れません。
かつて、劉邦と韓信が人物評価をした時に、韓信は劉邦が動かせる
兵力は10万が限度といい、自分は多ければ多い程良いと答えて、
顰蹙を買ったシーンがありますが、頭の中に計算機があった
韓信は、それこそ100万の大軍でもお手の物だったのかも・・
本日も悠久の春秋戦国時代に乾杯・・
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