【真田丸】真田信繁も背水の陣を敷いた?国士無双と謳われた天才武将・韓信との共通点




真田丸

(画像引用元:NHK大河ドラマ『真田丸』)

 

2016年のNHK大河ドラマは真田丸に決まりました。

日本一の兵と称えられ天下人徳川家康を絶体絶命の窮地に追い込んだ名将、

真田信繁(のぶしげ:通称幸村)の生涯を追った大河ドラマです。

実はこの大河ドラマのハイライトである大阪冬の陣において信繁が

背水の陣を敷いていた可能性があるという事が分かってきました。

 

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真田丸とは、大阪城の外郭に築かれた砦

大坂城 p

 

大阪城は、北、東、西の三方を川や堀、湿地帯で囲まれた難攻不落の要塞です。

西暦1585年に大阪城の天守閣は完成しますが以後も周辺の工事は続きます。

しかし1598年に秀吉が死去したので、そこで工事が止まりました。

その為に南口は、防備が不完全のまま取り残されたのです。

 

その南口の不備を補う為に、信繁は東西180メートルの半円形の

砦を造り、これを真田丸と名付けたようです。

 

半円形の砦は武田流の防衛陣地の構築法で信繁が武田の戦術を

よく研究して実戦に活かしていた事が分かります。



最近の研究で分かった、実は存在自体が罠だった真田丸

大阪城 p

 

このように最近までは、大阪城の機能を補うのが目的とされた真田丸ですが、

最近の研究により、実は真田丸は攻撃の為に造られた罠であるという事が

判明してきました。

「浅野文庫諸国古城之図」という大阪の陣の頃の古地図によると、

真田丸の背後は三方が崖になっている上に、前面には僅かな通路があるだけで

周囲を空堀が取り巻いている事が分かります。

つまり、真田丸は大阪城から孤立していた事になるのです。

 

真田丸は背水の陣を意識して、徳川勢を誘いこむ攻撃拠点だった

大坂城 wiki

 

大阪城から孤立している真田丸は、徳川勢からは簡単に攻め落とせる

ものだと見えたのだと思います。

そうでなくとも、真田信繁の兄の信之は徳川方の武将ですから、

徳川勢から見ると、信繁の軍勢は豊臣家から信用されず、

捨て石の働きを任されているように思えたのではないでしょうか?

しかし、そのような真田丸の構えから、徳川勢の思惑まで、

全て真田信繁の計算の内に入っていました。

 

真田丸に立て籠る将兵は逃げられないという心理状態から

死にモノ狂いで戦う事になります。

そして、最初から徳川勢を引きつけるつもりの信繁は、

ここに大量の鉄砲隊を用意していたのです。

 

信繁を侮って殺到した徳川勢は、尽く真田丸と大阪城から放たれる

鉄砲の餌食になり1万人という大量の死傷者を出し小さな真田丸

一つ取れずに敗走してしまったのです。

 

元祖背水の陣、井陘(せいけい)の戦い

韓信

 

大阪冬の陣を遡る事、1800年、紀元前204年の事。

元祖の背水の陣が楚漢戦争の最中の中国で行われました。

漢軍の大元帥として各地を転戦していた韓信(かんしん)ですが

元は大兵力であったものの本隊の劉邦(りゅうほう)に兵を送ったりして

大軍を維持するのが難しく3万の兵力で20万の兵力を持つ

趙の陳余(ちんよ)と戦わないといけない状況に陥ります。

 

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韓信、スパイを飛ばして、趙の状況を探る

photo credit: Sleepy Valley – Nant Gwynant, Snowdonia via photopin (license)

 

韓信は無理な戦いはしない慎重な人物でした。

彼が多用したのは、大量のスパイを放って行う情報収集です。

実は、韓信には心配が一つあります、趙には井陘口という馬車が二台

並んでも通れない狭い場所があり、ここを韓信軍が通過している最中に

趙軍に前後から挟撃されると厄介な事になるという事でした。

 

実際に陳余の配下の将軍である李左車(りさしゃ)という人物が、

「井陘口に兵を配置して、韓信がやってきたら、両方から挟み撃ちにし

全滅させましょう」と進言していたのです。

 

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