【火鼠の皮衣】曹丕、とんだ赤っ恥!燃えない布などあり得ない(キリッ!

2016年7月28日


 

曹丕

 

魏の初代皇帝曹丕(そうひ)は3世紀の人間としては、とんでもない博識な人物でした。

そんな彼は合理主義者の曹操(そうそう)の息子らしく、別に頼まれてもいないのに、

世にはびこる様々な迷信を攻撃して打破しようと自著、典論で色々書いています。

しかし、その中には、思わず赤面するような大失敗も混ざっていたのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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竹取物語にも登場する火鼠の皮衣

 

さて、昔話でもお馴染みの、かぐや姫が登場する竹取物語には、

かぐや姫に求婚する五人の貴族を退ける為に、かぐや姫が、

あり得ない宝物を要求して、五人を諦めさせようというシーンがあります。

 

それは、仏の御石の鉢、蓬莱(ほうらい)の玉の枝、龍の首の玉、

燕の子安貝、そして、決して燃えない火鼠(ひねずみ)の皮衣でした。

五人の貴族は、ずるをしたり、本気で探したりしますが、

いずれも手に入れる事は出来ず悉く求婚は失敗します。

 

この中の火鼠の皮衣が、曹丕が胡散臭いと考えたアイテムでした。

 

周の時代から献上された記録がある火鼠の皮衣

 

この火鼠の皮衣は、中国では火浣之布(かかんのふ)と呼ばれ、

周の穆(ぼくおう)の時代に、大いに遠征で領土を広げた時代に、

周辺部族から献上されたものの中に入っていた珍宝でした。

 

それは真っ白な布ですが、火に投げ込んでも焼けるどころか

焦げる事すらなく、汚れだけが落ちると言われていて、

火で汚れを落とす布とも言われていました。

 

漢の時代にも、火浣之布が献上されていますが、

曹丕の時代までは伝わらず、それゆえに伝説の類だと思われていたのです。

(写真引用元:傳唱千年的怪談:歷史中的火布

 

曹丕、大いに語る 火浣之布なんか存在しねーよ!

曹丕

 

そこで曹丕は、火浣之布を存在しないものとして典略で断定します。

 

曹丕「大体、火というものは全てを焼き尽くす性質のものではないか?

それを、たかだか布であるのに燃えないなどとは胡散臭い話だ。

きっと、これは作り話で存在しないに違いない」

 

曹丕は、このようにばっさりと火浣之布を否定しています。

合理主義者の曹丕の本領全開という所ですが、しかし、

その後、とんでもない事が起きてしまいます。

 

曹丕、赤面! 火浣之布が献上されちゃった!!

仙人を演じる少年

 

ところが、道教の経典である抱朴子(ほうばくし)の「論仙」には、

この後に曹丕の宮廷に、周辺国から火浣之布が献上された事が記されています。

曹丕は否定した手前、容易には火浣之布を信じず実際に火をつけて

燃やしてみた事でしょう。

 

しかし、布は焼ける事も焦げる事さえなく、

しっかり白いままで残っていました。

 

は・は・は、はずかちーーーー!!

 

曹丕が自信満々に無いと断じた火浣之布は、存在していたのです。

 

事実を知った曹丕はどうした?

曹丕

 

火浣之布が実在する事を知った曹丕は、

恥ずかしいやら情けないやら溜息をついてしまいます。

そして大急ぎで、太学の庭に打ち立てた石碑から、

「火浣之布は無い」と断言した部分を削ってしまったそうです。

 

典論は、現在では、その内容が殆ど失われていますが、

版を重ねる段階では、問題部分も削除したかも知れません。

曹丕としては、自信満々で書いた典論に早々にケチがついてしまった形です。

 

まあ、石碑から削ってしまったという事は、

曹丕は自説の誤りを認めたという事ですね。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

この火浣之布は、現在では、石綿(いしわた)の事であると言われています。

これはアスベストの事で、見た目は布に見えても鉱物なので

一定の温度までは形が変わる事がありません。

 

しかし当時の中国では、産出しない物質だったので、

さすがの曹丕にも、その存在が信じられなかったという事でしょう。

この話は、世界は広く、自分が常識だと思い込んでいる事でも、

時には通用しない事があるんだよという教訓が込められています。

 

曹丕に限らず、頭でっかちになりがちな現代人にも、

しっかり通用する話なのではないでしょうか?

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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