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【中国の杯】三国時代ではどこで酒宴していたの?杯について徹底解説

この記事の所要時間: 348




曹操 劉備 呂布 酒

 

三国志では、しばしば酒宴のシーンが描かれます。

戦の勝利の祝いや計略がうまくいった時等、しばしば酒の席が設けられます。

酒宴は城内だけでなく、野営している陣の中でも行われます。

とはいえ、酒宴をやるにはその準備が必要になります。

酒宴の準備と言えば、酒や料理も必要ですが杯が必要になります。

いつでもどこでも杯を人数分用意するのはなかなか大変そうですね。

 

数千もの兵の杯を用意するなんて現実的ではないので、

「実は酒宴なんて本当は対してやってなかったんじゃないの?」とか疑いたくなります。

さて、三国時代ではどのような酒器を使用していたのか、

本当にいつでもどこでも酒宴をしていたのか、今回は中国の杯についてご紹介します。

 

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馬王堆漢墓より酒器が発見された!

湖南省博物館で展示されている辛追の遺体 wiki

(写真引用元:湖南省博物館で展示されている辛追の遺体 wikipedia

 

中国の湖南省の長沙市に馬王堆(まおうたい)漢墓という遺跡があります。

これは、後漢―三国時代の前の前漢時代の墓であると考えられています。

この古墳から、ある女性の遺体が発見されています。

その女性は、長沙国で宰相をつとめていた利蒼(りそう)の妻、

辛追(しんつい)であることが分かっています(紀元前186年に死亡と推定)。

 

さて、この古墳では副葬品として酒杯が発見されています。

形は楕円形、長い方の円周部に耳のような取っ手が付いている、いわゆる耳杯(じはい)です。

酒杯には、他にも高杯(たかつき)が発見されています。

中国の酒器は大雑把に分けると、この二種類に分けられます。

高杯(たかつき)は貴族等のような身分の高い人々が用いる杯でした。

一方で耳杯(じはい)はそれ以外の身分の低い者が使用していました。




戦場での酒宴はどのように行うの?

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杯が耳杯(じはい)と高杯(たかつき)があることが分かりましたが、

実際はどのように用いられていたのでしょうか。

戦場などでは、主に兵卒や馬弓手のような者は耳杯(じはい)を使用していたと考えられます。

高貴な人は戦場に赴かないでしょうし、位の上の将は高杯(こうはい)を持参していたのでしょう。

となると、大量の耳杯(じはい)が必要になります。

数千、数万の兵がいる軍で酒宴をやるとなると

それはもうかなりの耳杯(じはい)を準備しなければなりません。

「いっそこんなに準備が大変なら、酒宴なんてやらないほうが良いのでは?」

と考えてしまいますが、自軍の士気を上げるためにも酒宴を行う必要ではあります。

「飴と鞭」というように、戦に勝利したら褒美は皆に与えられるべきです。

敵の様子を窺う必要もありますので、全員で飲んだくれる必要はありませんが、

飲めない兵が多いと不満が出ます。

やはりお酒を飲む必要性はあり、

それなりの人数で飲まねばならないのだから酒宴を行わなければなりません。

とはいえ、頻繁に酒宴を行っていたという決定的な証拠はありません。

 

更なる発見!曾侯乙墓

曾侯乙墓 引用

(写真引用元:生活の百科事典_Vt81.com)

 

1978年、湖北省随県の戦国時代初期の遺跡、

曾侯乙(そうこういつぼ)の墓からも数多くの副葬品が出土しています。

中国の歴史で言うところの「周」の時代なので、先ほどの前漢や三国時代よりもさらに昔になります。

そこには、古代の楽器や生活用具が発見されました。

その中に、酒器も含まれていました。

さて、この酒器ですが、何とも風変わりな形で発見されています。

発掘された酒器は耳杯でしたが、長さ120cm、幅60cm、

高さ30cmの箱の中に縦にはめ込むようにして収納されていました。

発見されたその箱は酒宴道具一式を収めた箱だったのです。

つまり、古代中国では携帯式の酒宴道具セットがあったのです。

 

ということは・・・

張飛にお酒 だめだよ

 

三国時代では、やはり酒宴を行っていたようです。

携帯式の酒宴道具セットの中には、複数人分の食器や酒器を格納していたようです。

そのため、このセットを持っていけば、どこでも酒宴ができたわけです。

箱に格納されているのは、やはり輸送上の都合が良いからだと考えられます。

これならば、戦の道具に混ぜて、酒宴道具も大量に輸送できます。

三国時代では、このセットを持っていくことで、ピクニックにもいけたことになります。

貴族が側近とピクニックに出かける時には、

護衛の雑兵はもしかしたらこの酒宴セットを持参して出かけていたかもしれませんね。

 

おまけ:関羽と耳杯

顔良と関羽

 

三国志演技で酒器が出てきた場面として思い当たるのは関羽(かんう)が華雄(かゆう)を討ち取ったシーンです。

誰も歯が立たなかった華雄(かゆう)に対して、関羽(かんう)が「私が討ち取って見せましょう」と述べ、

それに対して曹操(そうそう)が「この者に酒を持て」と部下に命じます。

関羽(かんう)は酒をその場では飲まず戦場へ出向き、まもなく華雄(かゆう)の首を持って帰ってきます。

その後、曹操(そうそう)から酒を受け取り飲み干すというシーンです。

中国歴史の画集や歴史資料等では、関羽(かんう)が飲んだ酒杯は高杯(たかつき)等であるというように描かれていることがあります。

関羽(かんう)は確かに今や歴史に名を残す鬼神として知られています。

しかし、身分の低い関羽(かんう)に対して、曹操(そうそう)が高杯(たかつき)を差し出すのはおかしい気がします。

関羽(かんう)はこの時耳杯(じはい)で飲んだと考えられます。

正史では、それ以前に華雄(かゆう)は他の者に討ち取られており、このシーン自体がありません。

 

関連記事:三国時代のお酒は発泡酒レベルだった?

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三国志ライターFMの独り言

FM

 

中国はずいぶん昔から、携帯用の食器ケースが使われていたようですね。

ずいぶん昔からあることから、もしかしたらそれほど貧しくない家庭では、

休日に家族でピクニックに行っていたのかもしれません。

地位の高い将が耳杯(じはい)を用いたのかそれとも高杯(こうはい)を用いていたのか、

は分かりませんが、もしかしたらMy高杯(こうはい)を酒宴のたびに持ってきていたのかもしれません。

参考書籍:今戸 栄一 著、中国の名酒一〇〇選、東京 徳間書店(1987)

 

 

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三国志ライターFMです。

三国志は、大昔の出来事ですが、物語をいろいろな視点や切り口で見ていくと、新しくて面白い発見があるのが好きです。

人物像や対人関係、出来事、時代背景、逸話等々、古い話とはいえ、学ぶべきところはたくさんあります。

埃をかぶせておくにはもったいない、賢人たちの誇りがあります。

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