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李厳(りげん)とはどんな人?自分の出世の為に孔明の足を引っ張った蜀の将軍

2016年8月25日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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第三次北伐開始

孔明

 

孔明は曹真(そうしん)や司馬懿(しばい)率いる魏軍の攻撃を見事に退けると、反撃を開始します。

 

敵に囲まれる馬謖

 

第一次北伐は馬良(ばりょう)の弟である馬謖(ばしょく)の敗北によって、失敗し、第二次北伐も食料輸送がうまくいかずに失敗。孔明はこの二回の失敗を糧にして第三次北伐を決行します。この時彼は劉備の遺言を共に聞いた李厳を呼んで、「私はこれから魏を討伐するため、再び北伐を行います。私が北伐を行っている間、蜀の留守をあなたに任せます。

 

北伐で食料の輸送担当をした李厳

 

また食料や武器などの補給の任務も行ってもらいますので、よろしくお願いします。」と言葉を尽くしてお願いをします。李厳は「わかりました。成都の留守は私にお任せください。丞相は後ろを心配せず、魏の討伐に尽力してください」とエールを送ります。こうして孔明は李厳の応援を得て、北伐へ向かいます。

 

馬謖

 

 

魏軍との決戦

孔明と司馬懿

 

孔明は漢中で軍を整えると、魏の領土である祁山(きざん)へ向けて進軍を開始。魏軍は孔明率いる蜀軍の迎撃を司馬懿(しばい)に一任します。司馬懿は孔明率いる蜀軍に対して、砦を築き慎重に対応を行っていきます。しかし彼の部下達は、司馬懿が孔明に対して慎重になりすぎていると感じ「総大将。あなたはなぜそんなにも孔明を恐れているのです。このまま砦に籠っていても蜀軍は撃退することはできませんぞ」と蜀軍に対して、積極的な攻撃を仕掛けるように求めます。司馬懿は諸将の声を押さえておりましたが、度重なる進言を押さえることができず、蜀軍を撃退するため砦から打って出ます。

 

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

蜀軍大勝利を得るも…

孔明

 

孔明は魏軍が砦から打って出てきたと知ると、全軍で司馬懿率いる魏軍に総攻撃を仕掛けるよう命令を出します。こうして蜀と魏の全面対決が行われることになります。蜀軍はこの北伐の為に、諸将から兵士に至るまで命令を浸透させており、孔明や兵を率いる将軍達の手足のように動き、魏軍を攻撃します。魏軍はこの蜀軍の攻撃に耐え切れず大敗を喫してしまい、再び砦の中に籠るようになってしまいます。孔明はこの戦いで多大な戦果を得ることに成功し、兵士や諸将の士気も大いに高まります。しかし孔明は撤退を余儀なくされてしまいます。

 

李厳からの急報

祁山、街亭02

 

孔明は魏軍との決戦に勝利した後、成都の留守を任せていた李厳の使者がやってきて、驚くべき報告します。

 

 

長雨にあたり食料の輸送が間に合わず孔明にバレることを怯える李厳

 

その報告内容とは「長い間雨が降っていたことが原因で、兵糧・武器の輸送が困難になっています。どうか軍を撤退してもらいたい」と告げます。孔明は魏軍に大勝利を収めながらも、撤退しなくてはならない状況に、歯ぎしりしながら悔しがりますが、兵糧と武器がなくては戦えない為、漢中へ撤退します。

 

静かに激怒する孔明

孔明

 

孔明は漢中へ撤退すると李厳から手紙が来ます。手紙の内容は「丞相。なぜ食糧輸送に滞りが無いのに戻ってきたのですか。勝てる戦であったのを無断で戻ってくるのは軍令違反ですぞ」と難癖をつけてきます。李厳は兵糧の輸送が困難だと嘘の情報を孔明に流し、この情報に踊らされて退却した孔明を責めることによって、兵糧輸送に失敗した自分のミスをなかったことにしようとします。しかし孔明は李厳とのやり取りの手紙をしっかりと保存しておいたため、成都へ戻るとすぐに李厳を呼び出し、「正方(せいほう=李厳の)。君はなんでこんな情報を私に流したんだ。いくら私がおとなしい性格だからだと言って、激怒しないと思っているのか。」と威圧感を与えて李厳に詰めよります。李厳は孔明の威圧感たっぷりの問い詰め方に反論できずに黙ってしまいます。こうして李厳は自らの罪を認めることになります。

 

馬謖は軍令違反で処断、しかし李厳は…

基礎知識 馬謖03

 

馬謖(ばしょく)は街亭の戦いの時に、孔明の言いつけを守らず独自の判断で、魏軍と戦って敗北したため、処断されてしまいます。蜀の群臣達は李厳も馬謖と同じくらいの厳罰で臨むのかと心配しておりました。孔明は李厳に「あなたの処罰を言い渡します。官位をすべて剥奪し平民として梓潼へ行って貰います。」と告げます。李厳は何も言わずに、成都を離れ梓潼へ向かいます。

 

英雄の死因

 

なぜ孔明は李厳を処断しなかったのか

泣いて馬謖を斬る

 

孔明は自分の後継者のように可愛がっていた馬謖を処刑したのに、李厳は平民に落とされるだけで済んだのでしょうか。

 

庶民に落とされた李厳

 

その理由は李厳が益州の家臣代表だったからです。孔明は李厳を処断してしまうと益州からの家臣達の反感を買い、下手をすれば蜀の国の政治が行われない可能性がありました。そのため彼は李厳を処断せず、温情を与えることにしたのです。李厳は梓潼へ向かった後数年間は生きておりましたが、孔明が五丈原で亡くなった事を知ると、自分が政界に戻ることはできないと失望し、亡くなってしまいます。

 

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三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

李厳がもしも孔明と協力して第三次北伐に臨んでいれば、もしかしたら魏の西方にある涼州(りょうしゅう)・雍州(ようしゅう)を奪う事に成功し、蜀の国力が倍増していたかもしれません。こうなれば魏はかなり危機に立たされていたことでしょう。しかし李厳は自らの欲望を優先したため、北伐は失敗してしまうのです。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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