【戦国四君物語】史記から見てみた魏の信陵君ってどんな人?

2016年10月16日

編集体制の詳細を見る
kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

提供する掲載情報について

『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。

ただし、当メディア内での商品評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはありません。また、当メディアで得た収益は、読者の皆様により役立つコンテンツ制作へ還元し、情報の正確性担保に努めています。

詳しくは 編集ポリシー をご覧ください。


 

劉邦 ヤンキー

 

漢王朝を開いた高祖・劉邦(りゅうほう)

彼がいなければ「漢民族」と言われる呼称もなく、三国志の時代は生まれなかったでしょう。

そして彼が敬愛していた人物が春秋戦国時代にいたのをご存知でしたか。

彼は魏の信陵君(しんりょうくん)が大好きで、信陵君みたいになりたいと若い頃思っていたそうです。

今回はこの魏の信陵君を歴史家・司馬遷(しばせん)が書いた史記から覗いてみたいと思います。

 

 

魏の公子・信陵君の誕生

 

魏の昭王の息子達に無忌(むき)と言われる子どもが誕生します。

彼は魏姫(ぎき)と言われる人物と兄弟で、非常に仲がよく幼少期は一緒に遊んでおりました。

昭王が亡くなると魏姫は王に就任することになり安釐王(あんきおう)と言われることになります。

安釐王は弟である無忌に信陵と言われる土地を与えます。

無忌は王からもらった土地である信陵の名前を自らに冠して、信陵君と名乗ることにします。

こうして戦国の四君と呼ばれることになる信陵君が誕生することになります。

 

 

魏は最大の危機に瀕していた

 

魏は魏姫が王になった頃最大の危機を迎えておりました。

その原因は先代の魏王が范雎(はんしょ)を虐げた事がきっかけです。

范雎は魏王の家臣にボコられて死ぬ寸前まで追い詰められますが友人に助けられた後、

秦へ逃げて宰相として君臨します。

彼は魏の国が自分を虐げた恨みを晴らすために秦の大軍を出陣させて、

魏の首都大梁(たいりょう)を包囲します。

この危機は安釐王が領地を割いて和睦にこぎつけた事で、

何とか滅亡の危機を回避することができました。

しかし信陵君はいつまた秦軍が大軍を用いて攻撃してくるかわからない状況に、

危機感を募らせておりました。

 

有能な人材を集める

 

信陵君は魏がいつ秦から攻撃を受けて危機的状況に陥るかわからないので、

優秀な人材を各国から集めます。

彼は士人に対して謙虚な態度で接します。

例え出来の悪い人物であろうといつどこで役に立つか分からないので、

誰に対しても公平に接していきます。

この人柄を知った諸国の人材はこぞって信陵君の元へやってきます。

こうして信陵君の元に三千人の人材が集まってくることになり、

この全てを自らの領地で食客として養っていきます。

 

どのような食客がいたのか

 

信陵君の食客には色々な人材が豊富にいました。

ある日安釐王と一緒に信陵君はすごろくをして遊んでおりました。

すると息せき切った文官が安釐王へ「北の国境から狼煙が上がっております。

趙軍が攻めて来る模様です。」と急を知らせてきます。

この知らせを聞いた王はすぐに軍議を開くように要請を出そうとします。

すると信陵君は「王よ。この狼煙は攻めて来る狼煙ではありません。

趙王は狩りを行っているそうです。」と述べます。

すると王は「おいおい。馬鹿な事言っちゃいけない。

趙が国境へ迫って来る理由は魏に攻撃を仕掛けてくる以外にあるまい」と答えます。

だが信陵君は落ち着き払って「私の食客に趙王の動向を知らせてくる者がおります。

彼からもたらされた情報ですから間違えないでしょう。」と断言。

その後趙軍は魏へ攻撃を仕掛けることなく領地へ引き返して言ったそうです。

このように各地の王の動向を知る者や地勢に詳しい者、軍略に特化している者など

多くの人材が信陵君の元へ集まってきておりました。

しかし安釐王は信陵君のこの言葉を聞いて大いに恐れ、

彼を魏の国政に参加させることはしませんでした。

優秀な人材が魏にいると聞くと・・・

 

信陵君(しんりょうくん)は、こうして多くの人材を食客として養っておりました。

ある日信陵君の食客が「魏の大梁を守っている門番が恐ろしく優秀な人材だそうです」と

信陵君に知らせてきます。

すると彼は家人に大量の贈り物を買ってこさせて、この門番に送ります。

しかしこの門番は贈り物を一切受け取ることをしませんでした。

贈り物攻撃が効かないと知った信陵君は自ら足を運んで

「どうか。私の食客になってはくれないでしょうか」と恭しく相手を持ち上げて丁寧に述べます。

この門番は老人ですが、シャキっとしており足腰はとても丈夫な雰囲気を醸し出しておりました。

そしてこの老人は信陵君に対して「私は清く生きてきました。

門番の仕事はきつい割に収入は少ないですが、

あなた様からもらった贈り物を受け取ろうとは思わない。」と天下の信陵君の誘いをきっぱりと

断ります。

こう言われてしまっては信陵君もおとなしく引き上げるしかないと考え彼に

「あなた様のお名前を伺ってもいいですか。」と聞きます。

するとポツリと「侯嬴(こうえい)」と答えて仕事へ戻っていきました。
 

 

諦めない信陵君

 

信陵君はどうしても侯嬴を食客にしようと考えて、酒宴を自宅で開くことを思いつきます。

そして食客を集めると共に魏の大臣や将軍を呼び集め、

酒宴の準備を万端整えた後馬車を用意して侯嬴を自ら迎えにいきます。

 

信陵君を試す

 

侯嬴は信陵君が自ら迎えに来たので仕方なく馬車に乗ります。

この時彼は信陵君を試すために彼が座るべき場所に座り出方を伺います。

しかし信陵君は気にする風でもなく侯嬴に色々と話しかけます。

侯嬴は「肉屋に私の親友がいるのだが、立ち寄ってもらえないでしょうか」と要請。

信陵君は頷くと肉屋に向かって馬車を走らせます。

そして肉屋に到着すると彼は友人と立ち話を長いことして信陵君の顔色を伺います。

だが信陵君は恐ろしい程平静と変わらない顔つきをしておりました。

こうして長いあいだ立ち話をしてから馬車に乗って宴会場へ到着。

すると信陵君は食客や賓客全てを呼んで「この人が侯嬴先生だ。

みな私の上客だから覚えていてください」と紹介していきます。

 

酒宴が終わってからの侯嬴の発言に唖然

 

こうして酒宴が終わると侯嬴は信陵君の元へ行き

「本日はありがとうございました。私もあなた様の為に仕事をしたかいがありましたな」といいます。

この言葉を聞いた食客や大臣、将軍は大いに驚くと共に唖然としてしまいます。

そして一人食客が侯嬴に対して「それはどのような意味なのですか」と訪ねました。

 

侯嬴の仕事とは

 

侯嬴は食客の方には向かず信陵君の方を向いてこのように答えます。

彼は「私は門番を守っているただの老人ですが、

今日信陵君様がわざわざ来てくださいましたので、彼に報いようと仕事を行いました。

その仕事は彼の名声を上げることです。

今日馬車で寄り道をする必要はこれっぽちもなかったのですが、

信陵君様の名声を上げるためにわざとよることにしました。

そこで長い時間立ち話をしていたのですが、

信陵君様は平静と同じような表情をしておられました。

私の方が身分が低いにも関わらず、

身分が高いあなた様が平静と同じ表情で私を待っていたことにより、

多くの民衆があなた様を称えることになりましょう。

この事を持って仕事をしたといったのです。

そして今後は信陵君様の食客としてお仕えすることに決めました。

数々のご無礼をお許し下さい」と述べて頭を下げます。

この事を知った信陵君はすぐに侯嬴の元へ駆け寄り、

「私の為にやってくださってこちらの方こそお礼を言わなくてはなりません。

どうか頭を上げてください」と言ってその場にいた人々を驚かせます。

こうして信陵君は侯嬴を手に入れることに成功し、彼を食客として迎え入れることにします。

そして彼が食客に加わったことによって信陵君は大いに歴史に名を刻むことになるのです。

平原君の救援要請

 

趙(ちょう)は長平の戦いで白起に大敗北してしまい、国力が大幅に減少してしまいます。

秦の昭襄王(しょうじょうおう)は「今こそ趙を滅ぼすべし」と決断して、

趙へ大軍を送り込むことにします。

趙はその後各地で秦軍に敗北してしまいついに、

趙の首都である邯鄲(かんたん)を包囲されてしまいます。

趙の平原君(へいげんくん=戦国四君の一人)は、

信陵君(しんりょうくん)の姉を奥さんとしていた事から彼に援軍を送ってくれるように要請。

安釐王(あんきおう)も趙を救援するために将軍晋鄙(しんぴ)に命じて出陣させます。

秦王は趙が危機に陥ると必ず各国が援軍を差し向けるであろうと考え、

各国へ使者を走らせます。

この使者は魏にも到着して「もし趙へ援軍を差し向けることをしたら、

趙を滅ぼした後軍勢を旋回させて援軍を送った国にも攻撃を仕掛ける」と脅します。

この脅しにビビった安釐王は援軍を送るのを止めて国境の防備に力を尽くします。

 

平原君から何度援軍要請の使者が来る

 

平原君は信陵君が援軍を送ってくれないと知ると何度も使者を送って催促します。

しかし信陵君の返事は「待ってくれ」の一点張りで進展しませんでした。

そこで彼は「私はキミと信義を持って接することができる人物であると思ったから、

君のお姉さんを妻に迎えたのだ。

趙が今危機に瀕しているのに援軍を送ってくれないのはどういうことだ。

もしかしたら秦王にビビっているのか」とキレ気味の文面で手紙を送ります。

信陵君は王に援軍を出してもらうように八方手を尽くしておりましたが、

王は秦王の脅迫に屈してしまい援軍を出そうとしませんでした。

そんな時に平原君から怒りの手紙を見て彼は覚悟を決めます。

 

食客3000人を率いて救援に向かう

 

信陵君は魏王が援軍を趙へ出してくれない事を知ると、

自らの食客を率いて援軍へ向かう決意を固めます。

そして食客3000人を率いて趙へ向かうべく魏の大梁(たいりょう)の門へ向かいます。

するとそこには門番でありながら信陵君の食客となった侯嬴(こうえい)がおりました。

彼は侯嬴に挨拶してから行こうと考え、

「私は趙を救援するために死んできます」と述べると、

侯嬴は「頑張ってきなさい」とエールを送ります。

このエールを受け取った信陵君は門を通過して趙へ向かいます。

 

あれ?おかしくないか?

 

 

信陵君は門を出て趙へ向かう途中考え事をしておりました。

彼は食客に「あれ?俺侯嬴先生をしっかりと遇していたつもりなのに、

なんでエールしか送ってくれなかったのだろうか。」と質問しますが、

食客も頭を傾けるばかりで分かりませんでした。

この不信感を拭うために信陵君は単騎で大梁へ戻ることにします。

 

侯嬴の秘策

 

侯嬴は信陵君が戻ってくると「やっと戻ってきました。

私はあなた様が必ず戻ってくるであろうと信じておりました。」と答えます。

信陵君は「もしや侯嬴先生には秘策があるのですか」と質問。

すると侯嬴は頷いてから「王の側室に如姫(じょき)と言う者がおります。

王はこの如姫の近くに兵権を示す割符をおいているそうです。

如姫にお願いすれば必ず盗んできてくれるはずです。

そしてこの兵権を魏と趙の国境に駐屯している晋鄙に見せれば言い訳です。

しかし晋鄙は剛毅な将軍であなた様の言うことを聞かないかもしれない。

そこで以前紹介した肉屋の朱亥(しゅがい)を連れて行きなされ。

彼は力持ちの人物で、

もし晋鄙があなた様の言うことを聞かなければ叩き殺してしまいなさい」と

策を献策します。

この策を聞いた信陵君は急いで宮中へ向かい如姫にお願いして割符を盗んでくれるように

頼みます。

するとこの姫は快く快諾し割符を盗んできます。

その後信陵君は侯嬴に感謝の意を表してから魏軍が駐屯している晋鄙の元へ向かいます。

 

趙救援に向けて出陣

 

晋鄙は信陵君が兵権を示す割符を見せられた後、割符が合致します。

しかし晋鄙はなおも信陵君を疑い「王は我にここを守備せよと命じられました。

そこに信陵君ともあろうものが馬車一台でここへ乗り込んできたことが怪しくて、

兵権を渡せません。王に確認をとってもいいでしょうか。」と聞きます。

すると信陵君は朱亥に命じて晋鄙を殺害させます。

こうして魏の10万の兵力を手に入れることに成功した信陵君は趙救援に向けて、

進軍を開始します。

 

秦軍はビビって退却する

 

秦の軍勢を率いている将軍は、

趙を救援するために他国が介入することはないと知らされておりました。

だが斥候隊からは魏の軍勢を見かけるとすぐに将軍に報告。

この報告を聞いた秦の将軍は恐れて包囲を解いて退却していきます。

平原君と趙王は信陵君が魏軍を率いて来てくれたことに大いに感謝し、

邯鄲の城門を出て出迎えることにします。

しかし信陵君は自国の将軍を殺害して兵権を奪取しており、

この事を知った安釐王は激怒していると食客から知らされます。

このような理由から魏へ帰国しにくい状態になっていた信陵君は、

趙に留まる事になります。

その月日はなんと10年間に及ぶことになります。

その後の彼は一体どのような人生を送ることになったのでしょうか・・・。

 

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

信陵君は信義を違えない為には自国の将軍を斬捨ててでも駆けつける人物として、

天下にその名を轟かすことになります。

また食客を集めるために自らが高位にいるにも関わらず、

食客として人を招く際は大いに下手に出て出迎えるともに、

謙虚さを失うことをしなかったそうです。

また10年間魏の国から出て趙の国に留まっていた彼はその後どうしたのでしょうか。

その彼のその後のお話はまた近々紹介します。

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃまたにゃ~。」

 

関連記事:無理ゲーを打開する曹操が凄い!曹操を苦しめた歴代武将

関連記事:【孟徳新書】曹操の兵法書は敵の手に渡らなかったの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

はじめての三国志を、もっと読みたい方へ
Google検索であなたの優先ソースに登録しておくと、はじ三の記事が上位に出やすくなります。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-春秋戦国時代
-, , , , ,