戦国四君 元祖男気ジャンケン、魏の信陵君

2015年8月22日


 

春秋戦国時代は、大義だ何だと言っても99%が利害に絡む戦いでした。

それは当然で利益や見返り無しには人は命までは賭けません。

 

ところが、魏の公子信陵君(しんりょうくん)は己の命を顧みず

捨て身の戦いで秦を退却させ、その名声は天に轟きました。

 

漢の高祖劉邦(りゅうほう)も尊敬した、元祖男気ジャンケン信陵君の生涯を追います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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兄に恐れられた優秀な弟、魏無忌(ぎ・むき)

 

 

信陵君は、姓を姫(き)、氏を(ぎ)、諱(いみな)を無忌と言います。

父は、魏の三代国王の昭王で兄は即位して安釐(あんきおう)となります。

 

信陵君は若い頃から侠気に溢れた人で、各地から大勢の食客を雇い

その面倒をみていました。

 

安釐王が信陵君を警戒しだした事件

 

 

ある時、信陵君と安釐王は兄弟で囲碁を打っていました。

その途中で家臣より趙と魏の国境で狼煙があがった事を知らせる

連絡がありました。

 

「もしや、趙が我が魏に攻めてくるのでは?」

心配になった王は囲碁どころではありませんが信陵君は落ち着き払っています。

 

安釐王「お前はどうして落ち着いていられる?国境で狼煙があがったぞ」

 

信陵君「ああ、あれね、、あれは趙王が狩りに出ただけです」

 

しばらくすると再び、家臣が飛び込んできて、

あの狼煙は趙王の狩りの狼煙だと連絡してきたのです。

 

(なんだ、こいつは・・王である私でさえ知らない事を

どうして、弟は知っているのだ)

 

信陵君は食客を使ったネットワークを構築して、六国の情報を

掴んでいましたが、それは兄である安釐王にとっては充分な脅威でした。

以後、信陵君は政治から遠ざけられてしまいます。

 

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信陵君、惚れこんだら、どこまでも・・

 

 

信陵君がいた魏の都には、侯嬴(こうえい)というみすぼらしい

汚い老人が門番として住んでいました。

 

信陵君は、侯嬴が隠者(世の中に隠れて住む賢者)と知り、

自ら馬車を飛ばして侯嬴に贈物し食客になるように頼みます。

ところが侯嬴は老齢を理由にこれを断ります。

 

すると信陵君「ではせめて明日のパーティーには参加して下さい」

と喰い下がります。

侯嬴、これは断わりませんでした。

 

侯嬴、パーティーをドタキャン、しかし・・

 

 

ところが、一番上等な席を空けてまっていたのに、

侯嬴は来る気配がありません。

信陵君は、自分で馬車を飛ばして再び侯嬴の所に行きます。

 

侯嬴は「私のような爺がパーティーに行っては、

あなたに恥を掻かせるばかりです」と断ります。

 

しかし信陵君は、それでもめげず

「どうして、どうして、あなたの到着を

客人は皆待っています、どうか馬車に乗って下さい」

と押しの一手です。

 

侯嬴、急ぎの途中で友達宅に寄り道

 

 

信陵君はようやく、侯嬴を馬車に乗せると会場へと急ぎます。

が、途中で侯嬴は「友達に会いたいので馬車を止めてくれ」

と言ってきたのです。

 

そこには、朱亥(しゅがい)という肉屋の男がいました。

立ち話は、かなり長い間続きますが信陵君は何も言わず、

馬車の上で話が終わるのをぢっと待っています。

 

侯嬴、詫びもしないで上座に座る

 

 

ようやく、立ち話が済むと侯嬴は馬車に乗りますが、

会場に到着するや否や、最上の席に何も言わずに座りました。

 

回りの客は、いきなり汚い爺さんが上座に座ったので、

どよめきますが、侯嬴は顔色も変えませんでした。

信陵君は、それでも何も言わず最後まで機嫌良く振舞いました。

侯嬴は、それを見て信陵君の食客に加わりました。

 

惚れこんだら、どこまでも、信陵君の粘り勝ちです。

 

 

信陵君、単独で趙を救おうと決意する

 

 

紀元前258年、趙の都、邯鄲を秦の軍勢が包囲します。

籠城した趙王は魏の援軍を求めて使いを派遣しました。

安釐王は、将軍の晋鄙(しんぴ)に軍を預けて派兵しますが、

秦から使者がやってきて忠告します。

 

「もう趙はおしまいだ、余計な手を出すな、、

もし助けたら、次は魏の番だと覚えておけ」

 

恐れた安釐王は、晋鄙に軍を維持したまま傍観しておくように

改めて命令を下しました。

 

趙の平原君、魏の信陵君をなじる!

 

 

ただ、見ているだけで援軍に来ない魏兵に趙の公子平原(へいげん)君は怒ります。

 

「信陵君、あなたの姉は我が王の妃、あなたは姉が心配ではないのか?

そんな意気地のない事で、よく天下の名士のような顔をしていられますね」

こんな手紙を何度も送り、援軍を催促し続けます。

信陵君は悩み、何度も兄の安釐王に軍を動かして下さいと頼みますが、

秦の脅しを恐れる魏王は決して聞き入れません。

 

信陵君「駄目だ、姉上を見殺しには出来ぬ、

こうなれば私達だけでも、趙を救援しに向かおう」

 

信陵君は、自分の食客の中で生死を共に出来る300人余りと共に、

義勇軍を組織すると単独で趙に向かおうとします。

 

 

隠者、侯嬴は素っ気ない見送りをする

 

 

信陵君の義勇兵を見送ろうと魏の人々が詰めかけますが、

その中にいた、賢者の侯嬴は、これが最後かも知れないのに

そっ気ない態度しか取りませんでした。

 

一度は城門を出た信陵君ですが、やはり侯嬴の態度が気になり

もう一度、1人で引き返します。

 

侯嬴、起死回生の秘策を伝授する

 

 

信陵君「先生、、私は死ぬかも知れません、、ですのに、

どうして、あのように素っ気ない態度を取られるのです?」

 

侯嬴「あなたは、既に自分に酔っておる・・

たった数百で手柄が立てられると思ってか?

ただ、犬死にするだけの者達の為に長い時間は取れない」

 

では、どうすれば良いのですか?と問う信陵君に、

侯嬴は、魏軍を動かす割符を魏王の寵愛する妃に盗ませて、

兵権を奪い、嘘の命令で晋鄙将軍を動かす事、

もし、晋鄙が疑えば、これを殺して信陵君が指揮を執るという

起死回生の秘策を伝授しました。

 

 

割符を盗み出し、趙に到着する

 

 

魏王の寵妃に多額の贈物をして割符を盗ませた信陵君は、

趙に急行し、晋鄙将軍に命令が変わったから軍を動かせと

偽の指令を下します。

 

しかし、晋鄙は、信陵君を怪しみ伝令を立てて確認すると言ったので

信陵君は従者の朱亥に晋鄙を命令無視の罪で金槌で撲殺させました。

 

「すまん、許してくれ晋鄙将軍・・」

信陵君は、晋鄙を丁重に葬ると、軍の大権を握ります。

 

信陵君は、兵士の中で、親子で従軍している者は親を帰還させ、

兄弟で従軍しているものは、兄を帰還させ、また一人っ子の兵士も

親孝行をさせる為に魏に帰還させました。

 

これは例え戦に勝っても、魏王が兵士を国に入れてくれなかった

ケースを考えての配慮でした。

 

 

因みに、魏で、この策を授けた侯嬴は、国法を曲げた事を恥じて、

信陵君が国を出たあと自決して果てています。

 

信陵君と魏兵は、奮戦し秦軍を退却させる

 

 

信陵君「無法にて無道なる秦の犬畜生に負けるな!死ぬ気で掛かれィ!」

 

それまで静観していた魏兵が突如、襲いかかって来た事で、

秦は慌てました、さらに楚からも春申君の援軍が到着して、

秦は、魏、趙に攻められる事になります。

 

さしもの秦も犠牲が大きくなり撤退し、ここに趙の都

邯鄲の包囲は完全に解かれたのです。

 

 

信陵君、合従軍の大将になり秦を押しかえす

 

 

危険を顧みず趙を助けた信陵君の名声は全土に轟きます。

紀元前246年、毎年のように秦に攻められた魏王は、

今は、趙に亡命している信陵君に帰ってくるように命じます。

 

最初は疑った信陵君ですが、配下の食客に諌められ、

やっと魏に帰還しました。

 

兄である安釐王は涙を流して信陵君との再会を喜びました。

信陵君が魏に戻ったと聴くや五カ国は、魏を救うべく大軍を派遣します。

 

信陵君は、この合従軍の総大将に任命され攻めよせた

秦の蒙驁(もうごう)の大軍を撃破しました。

 

さらに信陵君は合従軍を率いて秦を追撃し、

とうとう、函谷関(かんこくかん)に進軍を追い返す事に成功します。

函谷関は秦の玄関であり秦は振り出しに戻されたのです。

 

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信陵君失意の死

 

 

しかし、信陵君の名前は高くなり過ぎました。

一度は和解した魏王は合従軍を率いる弟を恐れて、

再び警戒するようになったのです。

 

これに加えて、秦は信陵君を激しく恨んで大金を使って

スパイに流言させたので、ついに信陵君は再び政治から外され、

失意の中で酒びたりの生活を送り、紀元前244年に死去します。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

春秋戦国に名将、知将は数あれど、信陵君程に自己犠牲精神に

溢れた公子は、そうはいないと思います。

見た目や身分の壁が高い時代でも、相手の年も身なりも気にせず

これと見込んだ人物とは打算なく交流する。

 

そして、例え自分を危うくしても義を立てる為には命を賭ける。

 

漢の高祖劉邦は、この信陵君に憧れ、

「俺は信陵君になるんだ」が若い頃の口癖だったそうです。

そう考えると、劉邦の行動パターンと劉邦の行動パターンは

とても良く似ていますね。

 

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歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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