物事を善悪で判断するのはよくある話です。
現在の世の中でも至る所で悪ははびこっていますし、それに負けまいとする正義も公然と存在します。
歴史も同じように善悪で評価を受けます。善の歴史と悪の歴史です。
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悪と正義
おそらく、多くの民衆が平和に暮らせる時代が善の歴史であり、
悪政によって民衆が支配され、摂取される時代が悪の歴史なのでしょう。
基本的には悪人が台頭して悪の歴史が作られ、
人徳の主が政治を行って善の歴史が積まれるという形ではないでしょか。
悪人=悪の歴史、善人=善の歴史というわけです。
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なぜ悪人が台頭できるのか
そもそもなぜ悪人が政治の主役、つまり社会の頂点に上り詰めることができたのでしょうか。
犯罪者集団や組織のなかであれば話はわかりますが、一般の社会ではなかなか想像しにくい話です。
現在社会もそうですが、世界はときに改革を必要とします。
破壊と再生です。この繰り返しで人間社会は進化してきました。
破壊はひとを傷つける場合が多いです。ときに多くのひとを殺します。
どんなときに改革のスイッチが押されるのでしょうか。
それは社会が低迷しているときです。
民衆が貧困にあえいでいるとき、政治は正義よりも力を要求されるのです。
力とは、戦争や侵略、貧困を生み出した政治の抹殺を指します。
李儒の活躍した背景
後漢末期の時代、政治の頂点に辿り着いたのが董卓(とうたく)です。
董卓は非道すぎるほどの暴力で改革を推し進めていきました。
見せしめに殺されたものも多くいたと伝わっています。
その董卓のブレーンを務めたのが李儒だとされています。
つまり悪の歴史を作り上げた董卓の協力者であり、黒幕的な存在です。
改革のための生贄となる対象は民衆や官吏だけではなく、皇帝すらも該当しました。
ときの皇帝である後漢第十三代皇帝・少帝は、この李儒によって毒殺されたといわれています。
このときは、宦官や外戚によって腐敗政治が横行していた時代です。
民衆は悪政と飢饉、反乱などで衰退しきっていましたから、誰かが改革をしなければなりませんでした。
長く続いた悪政の根っこは深く、解決には凶刃が必要とされたのでしょう。
董卓と李儒は己の正義を貫くため、情け容赦なく実行に移します。
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董卓は極悪人なのか
つまり董卓が出現する以前に、民衆が泣き叫び、死に絶えるような政治が存在していたのです。
董卓がわかりやすく激しい悪であるならば、それまでの政治は静かな悪です。
静かな悪に手を染めた多くの人間は圧倒的多数であるために罪悪感は希薄だったのではないでしょうか。
董卓を三国志一の悪と決めつける風潮がありますが、それだけで片づけるわけにはいきません。
見えにくいだけで狡猾な悪人はたくさんいたのですから。
董卓はそんな時代を破壊した、という功績があります。
功績と呼ぶと怒られるかもしれませんが、
それほどインパクトのある暴力をもって対処しない限り改革は難しいものだったのでしょう。
ある側面から考えると、董卓も李儒も正義だったのかもしれません。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
三国志には「正義=劉備」というイメージが未だに色濃く残っています。
それに敵対するような関係になる「董卓や曹操=悪」というわかりやすい解釈です。
話はその方が面白いのかもしれません。感情移入もしやすいですし、盛り上がりもあります。
ただし、三国志の奥深さはそれだけでは語れません。それは人間社会も同様です。
董卓・李儒無くして悪政の破壊はなく、
再生となる三国志の時代も幕開けしなかったのではないでしょうか。
巨大な悪を改革で倒したスーパーヒーロー董卓と李儒。さすがにそこまで言うと言い過ぎですね。
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