【シミルボン】すでにキャラ立ちしている、民話の中の三国志

2017年1月7日


 

シミルボン

 

※こちらの記事は「シミルボン」に配信されているコンテンツです。

孫権と劉備と曹丕

 

私達が、桃太郎や金太郎、浦島太郎に親しむように、

中国人は、劉備(りゅうび)曹操(そうそう)関羽(かんう)のような

三国志の登場人物に親しんできました。

14世紀後半に、三国志演義という読物になるより、

ずっと昔から三国志の英傑達は、民話の中に登場して

庶民のヒーローであったり、敵役だったりしたのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



関羽の顔は何故赤いのかに対する、ちょー強引な理屈

関羽 京劇

 

三国志演義の関羽は、二メートルを超える大男で、胸まで垂れた

髯を生やし、棗(なつめ)のように赤い顔と表現されています。

※関羽の容姿に関する描写は、三国志蜀志にはありません。

 

子供達の中には、その赤ら顔に疑問を持った子もいたのでしょう。

三国志、中国伝説の中の英傑という本には、以下のような

理由が語られています。

 

 

仕方がない、常生は逃げた。しかし追っ手が猛追してくる。

常生がやっと城南の河辺に着いたというのに、河の水が氾濫して

渡る事が出来ない。突然、河辺で洗濯する女があらわれた。

「おばさん助けてください!」と言い終わらぬうちに、女は

常生の顔を殴り飛ばしたので鼻血がふきでた。

すると、その血を顔中に塗りたぐり、常生の顔はたちまち真っ赤になった。

さらに髪の毛を切って髭にした。

さて、追っ手が河辺に来てみると、そこには一人の女と顔の赤い髭の

老人しかいなかった。

 

 

ここに出てくる常生(じょうせい)というのは関羽の元の名前です。

若い頃から義侠心があった関羽は、悪徳地主を殺して、親友の妹を

救い出すのですが、途中で指名手配され、追っ手に追われていたのです。

その途中、洗濯おばさんに逢い、助けを求めると、いきなり殴られ、

鼻血を顔に塗りたくられ、髪を切って髭にされたというわけです。

 

このおばさんは実は神であり、追っ手を撒いた後、

鶴に乗って天に飛び立つのですが、、

もう少し無理のないやりようは無かったのでしょうか?

 

 

 



短気な張飛を思慮深くした刺繍・・

張飛

 

張飛(ちょうひ)は前述した関羽と共に群雄、劉備の配下です。

関羽を上回ると言われる武勇の持ち主ですが、頭が悪くて、短気で粗暴、

しかし、嘘を言わずバカ正直なキャラクターが人気を集めています。

 

一方の関羽が関帝と呼ばれ、霊験があらたかになって

そんなにイジられなくなるのに対し張飛は、そこまで霊験が上がらず、

民間伝承ではボロクソにイジられるキャラになります。

 

そんな張飛は、益州攻略戦では、目覚ましい活躍をし、

また知略で敵将を生け捕りにするなど頭脳戦もするようになります。

そこで、短気で粗暴でバカというキャラクターに矛盾が生まれたので

民話では、張飛が慎重になった理由を説明しています。

 

軍師孔明は「将軍たる者、文武両道でなければならない。

大胆でいてしかも細心でなければ大軍を率いる事はできない。

刺繍をしないと言うなら、ここに残って荊州の見張りをしてくれ」

と言った。

 

張飛は出陣させてくれないと聞いてはたまらない。仕方がないと

刺繍をすることにした。しかし張飛には糸を通す事も難しかったが

しまいには力づくで無理やり針穴に糸を通し、三日三晩飲まず食わずで

花を刺繍する事にした。

 

ところができた刺繍は花とは似ても似つかぬしろもので、張飛は、

きっと軍師にしかられるに違いないと思った。

 

だが孔明は張飛の刺繍を見ると笑って言った。

「三将軍よ、心を落ち着けて花を刺繍してくれましたな。

今度の戦いは任せましたぞ」

 

刺繍を通して張飛が学んだのは、短気を起さずに我慢する心でした。

出陣した益州攻略でも、何度も失敗するものの短気を起さずに、

刺繍の時の細心さを思いだし、用心深く城を攻めて陥落させます。

 

また、敵将の厳顔(げんがん)将軍を生け捕りにした時にも、

最初に罵られたので、カッとして殺そうとしますが、そこでも

刺繍を思いだして我慢し、ついに厳顔将軍を味方にする事に

成功しました。

 

張飛が益州攻略で、手柄を立てたのは事実で、厳顔を味方にした

というのも歴史的事実です。

ここでは、民話が急に賢くなった現実の張飛に対応し、

孔明の命令で、刺繍をして思慮深さを身につけたという

後付けの理由を与えているのです。

 

民間伝承の三国志

 

変装しないで直接言えばいいじゃん スカした孔明

孟達と孔明

 

三国志演義に出てくる天才軍師孔明は、民話でも常人ではない

神算鬼謀を発揮する超人と言う扱いです。

常に冷静であり、周囲から一歩引いて、何ともないような顔をしつつ、

後で見ると、全て知っていましたというスカしたキャラです。

 

そんな孔明を端的に表わした話が以下です。

 

程普(ていふ)はひどく焦っていた。気晴らしに河のほとりまで、

散歩に出かけた彼は、老漁夫が釣りをしているのに出会った。

その漁夫はせっかく釣った魚を、また河に放してやっている。

程普は不思議に思い、老人に尋ねた。老漁夫はこう答えた。

 

「魚は少しばかりの餌につられて命を落とすのです。まさに

一文惜しみの百失いではありませんか」

 

程普はこれを聞いてフッと悟った。そこでさっそく関羽と、

撤兵や土地の譲渡について話し合って、関羽もまた譲歩する。

さらに二人は今までの戦いで戦死した兵士の青銅の武器を鋳潰して

棺桶を作り、約束を破って先に相手を攻撃した者は死んで

この棺桶に入る事になろうと誓いあった。

 

程普は三国の呉の将軍で、蜀の関羽と長沙の土地に駐屯して、

領土を巡っていがみ合いましたが、その頃、魏の曹操が長沙攻撃の

軍を興したので慌てて休戦して、撤退しようとします。

 

ところが、いざとなると双方が寸土の土地を惜しんで

交渉がこじれて撤兵が進まなくなったのです。

 

そして、イライラした心を鎮めようと、河辺を散歩すると、

くだんの老漁夫に逢ったというあらすじです。

 

程普と関羽は、長沙の土地に拘る事は、魚が僅かな餌に

執着して釣られるのと同じと悟り撤兵するのですが、

この老漁夫こそ、変装した孔明だと明かして民話は幕となります。

 

でも孔明なら、、、変装しないで普通にアドバイスした方が

ずっと早いような気もするんですが・・

 

参考文献【バーゲンブック】 三国志-中国伝説のなかの英傑

著者: 占堂 出版社: 岩崎美術社

 

シミルボン

 

【シミルボン】すでにキャラ立ちしている、民話の中の三国志

の続きは、「シミルボン」内のページで読めます。

続きが気になる方は、「シミルボン」にアクセスしよう!

 

三国志平話

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-,