蜀は龍を。呉は虎を。魏は狗をで知られる諸葛誕の一族が一番優秀だった!?




諸葛一族

 

蜀は龍を。呉は虎を。魏は狗を。

上記はそれぞれの国に仕えた諸葛一族の評価を表しております。

蜀は龍の如き孔明を得て、呉は君主に絶大な信頼を得ていた諸葛瑾(しょかつきん)を。

そして魏は反乱を起こした諸葛誕(しょかつたん)を。という評価を「世説新語」ではしています。

さて今回は狗(いぬ)と呼ばれた諸葛誕の孫についてご紹介したいと思います。

彼の孫は孔明や諸葛瑾の息子のような形で悲惨な結末を迎えたわけではなく、

活躍した人物であったそうです。

 

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「俺は復讐を忘れているわけではないぞ」by諸葛靚

諸葛誕

 

諸葛誕は司馬家が魏の政権を奪いそうになるのを見かねて反乱を起こします。

この時彼は単独では司馬家に勝てないと考えており、

呉へ援軍を出してもらうために息子である諸葛靚(しょかつせい)を人質として呉へ送ります。

しかし諸葛誕の反乱は司馬家の軍勢に鎮圧されてしまい、

諸葛誕は捕らえられて殺されてしまいます。

父を殺害した司馬家を恨んだ諸葛靚はそのまま呉に仕え将軍として出世。

 

司馬炎 はじめての三国志

 

司馬炎(しばえん)が六方面から大軍を侵攻させて呉へ攻撃を仕掛けてくると軍勢を率いて

戦いますが、呉は滅亡してしまいます。

この時諸葛靚は司馬家が打ち立てた国である晋から大司馬の位を授与されますが、

彼は晋の王朝へ出仕することはありませんでした。

司馬炎は幼なじみである諸葛靚と会いたいと何度手紙を送りますが、

諸葛靚は皇帝である司馬炎の手紙をみて「会えない」と数言書いて返信します。

司馬炎は諸葛靚に会えないと言われても何とかして会おうと考え、

叔父である司馬伷(しばちゅう)の奥さんが諸葛靚の姉であることを思い出し、

彼を呼んでもらうようにお願いします。

諸葛靚は姉からよばれたため仕方なく司馬伷の家に行くと司馬炎がいた事にびっくりしますが、

宴会は開始されます。

司馬炎は勝手に色々と話しかけますが、

諸葛靚は彼の話しかけに素っ気無く答えて、一切取り合いませんでした。

その後司馬炎が彼に「俺との思い出をわすれていないよね」と語ります。

すると諸葛靚は「あぁ!!俺はお前の親父に俺のオヤジが殺されたのだ。

復讐することは忘れていないが、俺がお前との思い出なんぞ覚えているか」と激怒。

この言葉を聞いて司馬炎はさっさと司馬伷の家を出て行ってしまったそうです。

その後諸葛靚は一回も大司馬の仕事をすることなく、亡くなる事になります。




晋王朝の危機に登場

月 f

 

諸葛靚は一回も出仕することなく亡くなってしまいますが、

彼の息子である諸葛恢(しょかつかい)は晋王朝に仕えることになります。

非常に優秀な人物でしたが、彼が出仕した当時晋王朝は衰亡の一途を辿っておりました。

その後晋は八王の乱・永嘉の乱(えいかのらん)によって晋の国は河北から撤退して、

江南へ移ることになります。

江南ではキングダムの王賁(おうほん)の子孫である琅邪王氏(ろうやおうし)が、

琅邪王・司馬睿(しばえい)を盛り立てて江南に東晋を建国。

諸葛恢も河北の戦乱が巻き起こる前に江南に移り住んでおり、

東晋が建国されるといち早く参加します。

 

 

三代の皇帝に仕えて宰相へ登る

竹 f

 

東晋が建国されると琅邪王氏の王導(おうどう)・王敦(おうとん)が軍事と政治を担い、

諸葛恢は彼らの元で自らの能力を発揮して東晋を支えていきます。

彼の能力の高さはすぐに王導の目にとまり、二人は親密な仲になっていきます。

王導は諸葛恢と親しくなるにつれて彼の能力の高さに目を見張り、

ある日側近へ「道明(諸葛恢の字)は黒髪のうちに宰相の位へ登るであろう」と評価します。

この評価は当たることになり、諸葛恢は東晋の初代皇帝である元帝・明帝・成帝の三代に渡って

東晋に仕えてこの国を支えていき、成帝の時代には宰相の位へ就任することになります。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

黒田廉

 

諸葛孔明の息子達は蜀の滅亡に巻き込まれて亡くなってしまいます。

また諸葛瑾の息子は宰相の位に登りますが、

権力を乱用して群臣から反発を受けて亡くなってしまいます。

こうして見ると狗と悪口の評価を受けて諸葛誕の息子は頑固者でしたが、

硬骨漢として爽やかな生き方を示します。

また諸葛誕の孫はおじいちゃんよりも能力があり、宰相の位へ就任するほどの手腕を見せます。

このように考えると諸葛一族の二代目・三代目の中で一番出世したのは誕の一族で有り、

後世に残した活躍度から見ても諸葛恢程の活躍を示した人材は呉の諸葛一族、

蜀の諸葛一族よりも一頭地抜きん出ていると考えますが、皆さんはどのように思いますか。

 

参考文献 岩波書店 中国人物列伝 井波律子著

 

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