【春秋戦国時代】時代の主人公であった魏の文侯の厳選エピソード

2017年3月7日


 

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古代中国史には春秋時代と戦国時代がありました。

ざっくりと春秋時代をまとめると春秋時代は周王朝が諸侯の上に君臨し、

覇者と呼ばれた国が周王朝に代わって、他の諸侯をまとめあげていた時代です。

そしてこの時代の終焉は北の超大国であった晋が・韓・趙の三国に分裂したことが

きっかけで終焉を迎えることになります。

そして晋が三国に分裂したことによって戦国時代が幕を開けるのですが、

戦国時代初期には他の群雄よりも頭一つ飛び抜けた国がありました。

その国は晋が分裂した際にできた国である魏です。

魏は名君と呼ばれる文侯(ぶんこう)の時代で、彼が戦国時代初期の主人公で、

たくさん逸話を持っております。

今回はこの魏の文侯にまつわるエピソードから厳選したものをご紹介しましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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兄弟の国は討伐しない

 

魏の国は晋が分裂したことがきっかけで建国された国です。

晋が分裂した際に趙・韓そして魏の三国が同時に建国されます。

そして魏には名君と言われる文侯が君主として君臨しておりました。

この国は文侯が名君であったことがきっかけで多くの有能な人材を確保。

また国土も広く国力も充実しておりました。

そのため多くの小国は魏の文侯に付き従っている状態でした。

ある日戦国時代の覇者とも言える魏の文侯へ韓から使者がやってきます。

この使者は文侯へ「趙が生意気なので懲らしめてやりたいのです。

是非兵を貸してくだされ」とお願いしてきます。

しかし文侯は「趙は我が国と兄弟のような国です。

この国を討伐するための兵力をお貸しすることはできません。」と断ります。

数ヵ月後・・・・。

今度は趙の使者が文侯の所へやってきます。

趙の使者は文侯へ「小さい国の癖に色々とやかましいことを言ってくる韓がムカつくので、

兵力を貸してくれないだろうか。」と依頼。

だが文侯は「韓は我が国とは兄弟と同じような関係を保っている国です。

この国を討伐するための兵力をお貸しすることはできません。」と拒否。

趙と韓の要請を断った文侯ですが、この話を聞いた韓と趙の君主は文侯の徳の高さに心服。

両国は文侯の下へ馳せ参じて臣従することになります。

 

名将・呉起を拒否

 

「呉子」と呼ばれる兵法書の作者である呉起(ごき)。

彼は春秋戦国時代の初期に出現した名将で孫子と並んで最高レベルの軍略家でした。

そんな呉起は魯(ろ)という超小さい国の将軍でした。

この国で彼は抜群の武功を立てることに成功するのですが、

魯の群臣からの評判が悪ったので、魯の国を出ていくことにします。

そして彼が仕官先として目をつけたのが文侯率いる魏の国でした。

呉起は早速魏の文侯と謁見する機会を得ることに成功。

そして彼は文侯に兵法や行政など様々な点から自薦していくのですが、

文侯は呉起の話を聞き終わった後に「我が国は戦争を嫌う国なのだ」と

答えて彼を登用しませんでした。

呉起はガックシして宮殿をあとにしていきますが、後に魏の文侯から招集を受けて魏の将軍として

活躍することになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

文侯は呉起の他にもたくさんの優秀な人材を保有しておりました。

例えば孔子(こうし)の弟子であった子夏(しか)を自らの師匠として向かい入れており、

儒教を国の政治に取り入れていきます。

また戦国時代の名将・楽毅(がくき)祖先である楽羊(がくよう)を将軍として、

趙の近くにあった中山という国を滅ぼすことに成功。

そして文官では李克(りこく)や西門豹(せいもんひょう)などを積極的に登用したことで、

国力は増大していくことになります。

このように多士済々の人材を取り入れて、中華の諸侯をまとめあげていた文侯こそ

戦国時代初期の主人公といってもいいのではないのでしょうか。

 

参考文献 史記 司馬遷著 訳奥平卓・久米旺生など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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