楊端和率いる山の民連合軍が列尾攻めで大活躍!山の民の生態とは?

2017年3月9日


 

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楊端和(ようたんわ)が率いる山の民連合軍が趙の国門、列尾を落すのに大活躍ですね。

山の民は平地の民と違い盾を用いず無造作に城壁によじ登ろうとし、次々と射殺されても

動じず、楊端和は、「気にするな、うちはいつもあんな感じだ」と言い放つ始末です。

さて、キングダムに登場する山の民、実際には、どんな人達だったのでしょうか?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志の時代に盛んに登場する山の民

 

史記から、山の民の記述を拾うのは困難ですが、それより400年後の三国志には、

キングダムの時代の山の民の末裔のような異民族が出てきます。

それを山越(さんえつ)といい、中国の東南部の、山岳地帯に住んでいました。

民族構成は、漢族、ヤオ族、モン族というような人々で、それぞれで混血もしていて

地域によっては、混在して住んでいる場合もあります。

 

三国志に出現する山の民、山越族とは?

 

山越族は、基本統一されておらず、それぞれの山に一族がかたまって住んでいます。

時折、指導者が出現すると、1万人単位になって、平地まで降りてきて、

農耕民の漢族を襲うなどの事をする事もあります。

 

後漢末の山越族のリーダーには、潘臨(はんりん)費桟(ひせん)尤突(ゆうとつ)、

三国志の時代には、黄乱(こうらん)という人が出ています。

いずれも一時期は勢力を奮いますが、結局は討伐されてしまいます。

 

戦争に出現する山越族の様子

 

三国志においても呉は、山だらけの揚州、交州に基盤を置いているので、

頻繁に山越族退治の記事が載っています。

しかしながら、大抵は、○○という武将が山越族を討伐したとあるだけで、

どのように戦ったか?書いてあるのは殆どありません。

ですが、部分、部分では、山の民らしい記述が存在しています。

 

孫権を急襲し、後一歩まで迫った山越族

 

孫策(そんさく)が六県の山越族を弟の孫権に討伐させた時、孫権(そんけん)

周泰(しゅうたい)という武将と、1000名程度の兵で宣城という所を攻めていました。

孫権は完全に山越族をナメていて、防御柵も設けずに指揮をしていました。

 

そこへ、どこからともなくやってきた、数千の山越族が殺到し、

孫権は、すんでの所で馬に乗りましたが、鞍に手を掛けられそうになっています。

この時は、周泰が満身創痍になりながら、数千の敵を蹴散らし孫権は命拾いをしています。

 

通常は防御柵を設けているという事は、山越民は騎兵が主力であり、

その行動が俊敏で、必ずしも動向がつかめない程であると言えます。

これは、キングダムの山の民と似ていますね。

 

山越族は、屯という単位で住んでいた

 

同じく、呉の武将である凌統伝(りょうとう)では、山越族は保屯(ほのとりで)

麻屯(まのとりで)というような周囲を木等で囲まれた場所に住んでいたようです。

この麻屯には、一万ほどの山越兵がいたと書かれています。

これが兵士だけか、家族も込みか分りません。

 

しかし、ある程度の人数が固まって住んでいた事は窺えます。

恐らくは、治安が悪くなったので、人数を集めて守るのも攻めるのも、

やりやすくしたのでしょう。

 

 

山越族と漢族は言葉が通じた

 

山越族は、必ずしも敵ではなく、降伏させた兵の中から勇猛な者は呉軍に編入、

兵士として耐えられない者は、農耕民として平地で田畑を耕させています。

呉は面積が広い割に人口が少ないので、よくそういう事をしていますが、

こうしてみると、三国志の時代の山越民は漢族と言葉がある程度は通じた

というような事情が窺えるでしょう。

 

キングダムでも、バジオウやタジフは、カタカナのカタコトですが、

平地の秦人の言葉をしゃべっていますよね。

事実として、山越族も一部は平地に下りて漢族と混血が進んでしまっているので

普通に漢族の言葉が喋れる者もいたのかも知れません。

 

キングダムウォッチャーkawausoの独り言

 

山越民を参考にした山の民のイメージは、山の中に屯という城を造って住み、

大体、一万人前後で固まっていて、騎兵を主として迅速な行動で、

時折、漢民族を窮地に陥れる存在で言葉もある程度、通じるという事はわかりました。

400年の時間差はありますが、キングダムの山の民の生態も、大体は、

このようなものではないかと思います。

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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