三国志の時代を震えさせる怨霊たち!特に呉には怨霊系の話が多い!

2017年3月12日


 

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怨霊に呪い殺されるという話はもちろんフィクションなのでしょうが、そこそこよく聞く話です。

日本の有名な怨霊といえば崇徳天皇でしょうか。

「天下滅亡」という呪詛を残して無念の死を遂げ、その怨霊が後白河天皇の息子の二条天皇、

その后の中宮、そして孫の六条天皇までを怪死に追い込んでいくのです。

恐ろしいですね。

三国志でも「三国志演義」では道士の于吉を殺害した孫策が、その呪いで傷が悪化し亡くなっています。

今回はそんな「怨霊」の仕業について触れていきましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽の怨霊

 

三国志演義では他にも無念の死を遂げたものが怨霊となって相手を殺しています。

殺されたのは呉の呂蒙。怨霊は同盟国の呉に裏切られて死んだ関羽です。

呂蒙は関羽の怨霊に乗り移られて、

自分は関羽であると名乗りながら体中の穴という穴から血が噴き出して死んでいます。

もうこうなるとホラー映画です。

正史では病死ということになっています。

昔のひとが呂蒙の病死を関羽の呪いと結び付けても不思議ではありませんね。

関羽ファンは多かったでしょうし。

後に関羽は神格化し、祀られることになります。

 



呉には怨霊系の話が多い?

 

孫策、呂蒙と名将・英雄の類が呪い殺されているわけですが、

実は呉には他にもその手の話があるのです。

それが大将軍たる諸葛瑾の長子、諸葛恪の話です。

諸葛恪も父親同様に大将軍の地位に就きます。

しかし、独断専横が度を越して周囲に恨まれ、やがて祝宴の席で暗殺されてしまうのです。

ちなみに諸葛恪を刺殺したのは、同格の孫峻です。

ここからの話がなかなかのホラーになっています。

 

諸葛恪が殺害された同時刻に……

 

諸葛恪が孫峻に暗殺された同時刻、諸葛恪の屋敷では奇妙なことが起こっていました。

諸葛恪の妻の部屋に入ってきた召使いから血の匂いがするのです。

夫人が不思議に思っていると、召使の目が飛び出さんばかりに大きくなっていきます。

そして召使いは腕まくりをし、歯を噛み締めて、天井にぶつからんばかりに飛び上がるのです。

想像しただけでも怖いシーンですね。映画「エクソシスト」を思い出します。

召使いはこう叫んで昏倒します。

「旦那様は孫峻に殺されました!」と。

そしてほどなくして諸葛恪の血族を捕縛する役人たちが屋敷を囲います。

諸葛恪の息子たちは皆殺にされました。諸葛恪の弟も自殺を強要され、姪まで自殺させられます。

諸葛恪の遺骸は葦のむしろに巻かれて捨てられました。

 

そして孫峻に怨霊が現れる

 

ここまで無慈悲なことをやってのけた孫峻はその後どうなったのでしょうか。

孫峻はある晩、諸葛恪に殴られる夢を見て目を覚まします。

そして心臓が痛み出し、苦しんだあげくにそのまま死んでしまいました。

38歳の若さです。それまで心臓の痛みは感じたことがなかったと伝わっています。

要するにこれは諸葛恪の怨霊の仕業というわけです。

その息子の孫綝もまた栄華を極めましたが、やがて処刑され首を落とされます。

このとき父親の孫峻の墓はあばかれ、副葬品をすべて撤去され、

柩は壊され、死骸のみが埋め戻されたといいます。

そして皇帝の孫休は諸葛恪の霊を鎮めるよう、諸葛恪を改葬したのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

三国志のお話のなかにもホラー系が存在するのは不思議な感じです。

因果応報という言葉とともに受け継がれている伝承なのかもしれません。

なぜかしら呉にはこの手の話が多いですが、なぜなのでしょうか。

暴虐の限りを尽くした董卓こそ、それこそ万の数の怨霊に襲われてもいいはずなのですが。

「憎まれっ子世に憚る」なんてことわざもあるくらいですから、

必ずしも怨霊に殺されるわけではないのでしょう。

呉以外ではあまりない話なのかもしれませんね。

 

みなさんはどうお考えですか。

 

 

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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