関羽はどうして神格化されてメジャーになったの?三国志で唯一、神になった武将

2017年3月13日


 

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関帝廟と関羽

 

横浜中華街には関羽を祀った「関帝廟」なるものがあります。

中華街の観光スポットにひとつです。他にも神戸の中華街にある関帝廟も有名です。

基本的には華僑居住地にはこの関帝廟はあるのです。

道教ではそれだけメジャーな神様といえます。「協天大帝関聖帝君」と称されています。

果たして「斉天大聖孫悟空」とどちらが強いのでしょうか。

ちなみに仏教でも神格化されていて「関帝菩薩」と呼ぶそうです。

今回は関羽の神格化にもっと深く迫りたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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怨霊信仰

 

日本独自の文化だと思っていた怨霊信仰。

有名どころでいくと日本の菅原道真は太宰府に左遷されて、恨みを残して死ぬのですが、

その後に天変地異が起こり、貴族や民衆は畏れて祟り神として祀ったというものです。

力のあるものならば怨霊でも味方につけようとするあたりはなかなかの図々しさですね。

それが今ではすっかり学問の神様になっています。

どうやら中華にもあったようです。

関羽もその死後、呂蒙が怨霊によって呪い殺されたとか、

曹操も同様に死んだとか、かなり畏れられたようです。

関羽の生前の勇猛さ、忠義の姿勢はまさに神ってましたから、神格化されて然るべきです。

おそらくは、生前と死後のどちらの姿も加味されて神格化されたのかもしれません。

 

関羽の民間伝説

 

関羽には「水」に係わる伝承が多く伝わっています。

ひとつは若い頃、悪代官を誅殺し、逃亡している最中に関所を通らねばならなくなったときの話です。

水中から菩薩が現れ、その助力で関羽の顔が真っ赤になり、

門番に気づかれずに通ることができたというものです。

他にも関羽の誕生日の5月13日(旧歴)には毎年雨が降るそうで、

これは関羽が愛用の青竜偃月刀を磨くためだとされています。

「磨刀雨」と呼ぶそうです。

また、関羽の故郷である解州には中華最大の塩湖「解池」があり、

ここに住む妖怪の蚩尤を関羽が退治したと伝わっています。

こうして関羽は解池の水神として祀られることになります。

ちなみに荊州の益陽には、関羽が渡河して魯粛の陣を攻撃しようとした浅瀬を

「関羽瀬」と呼んでいる場所があります。

 

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水と関羽の関係

 

確かに関羽は様々な場面で水と係わっています。

曹操が荊州侵攻で南下してきたとき、関羽は荊州の水軍(劉埼の水軍ですが)を率いていました。

劉備の配下で水軍を率いているのは関羽ぐらいなものです。

また曹操の領土である樊城を攻めたときも、援軍である于禁や龐徳らを水攻めで破っています。

水神化される要素はこのときから持っていたのでしょう。

 

現在の信仰

 

では現在は関羽はどのような対象として祀られているのでしょうか。

水難除けや船の守り神、というわけではありません。

「金儲けの神様」です。

え!?って感じですよね。

実はその理由が解州の解湖だそうです。ここは漢の時代から塩を政府の専売にしていました。

政府の委託を受けていた地元の民は経済的に潤い、やがて金融業にも手を広げていきます。

関羽はこの解湖の守り神のような存在として祀られていましたから、

自然とこの山西省の人々に信仰され、

山西省の人々が商売繁盛していくのにつれて「商売の神様」になっていったのでしょう。

ですから現在の華僑の人々は関羽を「商売神」として祀っているのです。

 

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三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

儒教では関羽は「山西夫子」と呼び、学問の面で崇め、

特に台湾では受験の神様として祀られているそうです。

山西は関羽の故郷の解州のことですね。

後世では関羽の武勇よりも、その故郷の商売の上手さ、賢さに注目が集まったということでしょうか。

果たして関羽はこの扱いを知ったらどう思うのでしょうか。

きっと苦笑いするに違いありません。

 

みなさんはどうお考えですか。

 

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ろひもと理穂

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