「垂沙の戦い」がきっかけで孟嘗君は天下に実力を認めさせた!

2017年4月29日


 

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孟嘗君(もうしょうくん)は天下の諸侯から人望を得ておりましたが、

実力は一体どの程度だったかは分かりませんでした。

しかし彼の実力が垂沙(すいさ)の戦いで勝利したことによって実力・名実共に天下の諸侯から

認められることになるのです。

キングダムでも登場した戦国四君・春申君を超える人望を身につけていた

孟嘗君・田文の実力が天下に認められた垂沙の戦いについてご紹介します。

 

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落ち目であった楚に救いの手が

 

(そ)は秦の宰相となっていた政治家である張儀(ちょうぎ)によってボロボロにされておりました。

張儀は一時期楚の国にいたのですが、この国でコテンパンにいじめられたことが有り、

彼は楚へ復讐するために秦へ行って宰相として国政を握ることになります。

彼は秦の宰相になると楚王を時に騙し、時におだてたりしながら楚の国の領土を削っていき、

楚の国力が年数を重ねる事によって弱っていきます。

こうした中、張儀は秦王の世代交代によって秦から居なくなり、

秦の外交方針も変化していったことで、楚の国に対して秦からの圧力が弱まっていきます。

またキングダムに登場している秦王政の三代前の昭襄(しょうじょうおう)の時代になると

楚は秦と婚姻関係を持つことになり、少しづつ国力が回復していきます。

 

楚の太子が事件を起こしたことがきっかけで・・・・

 

秦と婚姻関係を持つことになった楚ですが、

ある事件がきっかけで秦と楚の婚姻関係が切れてしまいます。

その原因を作ったのは楚王の太子です。

彼は秦に人質として滞在していたのですがある日秦王の家臣と口喧嘩。

楚王の太子はだんだん興奮してきて、秦王の家臣を殺害してしまいます。

このことを知った秦王は激怒して楚との婚姻関係を破棄。

そして秦は・韓・魏の三国と連合して楚へ攻撃を行います。

 

バラバラな連合軍

 

秦に誘われて楚へ攻め込むことになった三国の軍勢ですが、

連合軍は統率が取れていないため攻撃を行うにもバラバラに攻撃を行っており、

成果が中々上がりませんでした。

また秦はこの当時から評判があまりよくないため、

連合軍の将軍達は秦が裏切って攻めて来るのではないかと不安を抱えている状態でした。

この連合軍の状況を知った斉の宣王(せんおう)は諸侯に人望を持っている田文を連合軍の

大将にするのはどうかと韓と魏に通達します。

二つの国は斉王の提案を受け入れます。

こうして田文は連合軍の大将として戦場へ送り込まれることになります。

 

垂沙で楚軍を撃破し、大勝利を飾る

 

田文が連合軍の総大将として就任した後、三国の軍勢は統制の取れた動きをして楚国へ

侵攻していくことになります。

楚軍は沘水(ひすい)と言われるところに兵を固めて連合軍を待ち受けます。

連合軍は沘水の対岸で楚軍と対峙することになるのですが、

沘水はかなり大きな河であったため、対岸へ渡ることが難しい状態になっておりました。

そのため両軍はお互いに攻めることをしないで数ヶ月が経過。

   

沘水を渡って夜襲をかけろ!

 

沘水には渡りきることの浅瀬があるのですが、

楚軍の防御が固いデメリットがあることを知った田文。

彼は斉軍を率いている将軍に「楚軍の陣地へ河を渡ることが出来る場所があるのですが、

この地は楚軍がしっかりと防御を固めているそうです。

しかし夜になれば楚軍は防御がしっかりと行っていることによる

安心感から油断が生まれていると思いますので、将軍は夜中に楚軍へ攻撃を行っていただきたのですが、

よろしいでしょうか。」と相談を持ちかけます。

斉軍の将軍は田文の進言を受け入れて、夜中に沘水を渡って楚軍の陣地へ攻撃を仕掛けます。

この結果、楚軍は斉軍に打ち破られることになり、他の二国も斉軍に従って楚軍の陣地を

攻撃したことによって楚軍は撤退。

連合軍は大勝利を収めることになるのです。

斉軍が楚軍に勝利した場所が垂沙だったことからこの戦いを垂沙の戦いと呼ばれるようになり、

田文の実力が天下に知れ渡ることになるのです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

田文はこの戦いによって天下の諸侯から実力と人望の高さが認められることになり、

田文がこの乱世を動かしていくことになると諸侯は感じることになるのです。

田文が天下を動かしていく人物であることに目をつけたふたりの人がいました。

一人は田文を利用していこうと考えた秦の宰相である魏冄(ぎぜん)。

そしてもうひとりは田文が天下を動かす人物であることに反発したのが、

「胡服騎射」を制定した人物として名高い趙の武霊王(ぶれいおう)です。

この二人の考えの中心にいた田文。

だが彼は二人の考えに利用されず、自らの道を進んでいくことになります。

 

参考文献 中公新書 孟嘗君と戦国時代 宮城谷昌光著など

 

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-執筆者:黒田廉, 春秋戦国時代
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