刑顒(けいぎょう)とはどんな人?三国志時代の曹植家に仕えていた執事

2017年5月16日


 

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「おかえりなさいませ~ご主人様」メイドカフェではよく使われる言葉ですが、

今回はメイドカフェをご紹介するわけではありません。

今回ご紹介するのは三国志の皇族などの家を取り仕切ったメイド(男性なので家宰)です。

曹魏の皇族・曹植(そうしょく)の家を取り仕切った執事をご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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田疇の客になる

 

後年曹植の家の執事となる人物・刑顒(けいぎょう)。

彼は幽州(ゆうしゅう)にいる田疇(でんちゅう)の客となって過ごしておりました。

田疇の客となって5年が過ぎた頃、曹操が袁家を滅ぼして河北を統一。

刑顒は田疇に向かって「黄巾の乱をきっかけとして中華は戦乱となり、

天下は大いに乱れてきました。曹操殿は法を持って民衆達を取り締まり、

しっかりとした秩序を作り上げたそうです。

私も民衆達が戦乱に喘ぐことのない平和な世界を作りたいと思います。」と自分の志を語り、

田疇の元を去っていきます。

田疇は後に刑顒の事を「あいつは自分の身を持って民に尽くそうとしておる。偉い奴じゃ」

と褒めたそうです。

 

曹操に仕える

 

刑顒は曹操(そうそう)の元へ行き仕官することにします。

曹操は刑顒の仕官を認め彼に行唐(こうとう)県の県長を命じます。

彼はこの地に赴任すると民衆達へ農業と養蚕(ようさん)を奨励し、

民衆達をしっかりと良い方向へと導いていくことにします。

この結果、賊徒や盗みなどは一切無くなり非常に住みやすく平和な県となります。

この統治が実績として認められ彼は、

中央へ招聘されて丞相門下督となり左馮翊(さひょうよく)の長官へ昇進します。

しかし刑顒は病にかかってしまい仕事ができなくなってしまったことから自らこの職を辞職。

故郷に帰って養生することになります。

 

曹植家の執事に任命される

 

刑顒は病が治った後、再び官吏に登用されることになるのですが、

彼が任命された役職はちょっと特殊でした。

それは曹家の御曹司である曹植(そうしょく)の家の家宰となることでした。

刑顒が選ばれた理由は法律に明るい人物だったからだそうです。

刑顒は曹植の家の家宰になると曹植家独自の法を作って、

曹植家の家の中をビシッと取り仕切っていくことになります。

彼は曹植家の執事でありながら主人である曹植に対して「おかえりなさいませ。ご主人様」

と畏まることをせず曹植の言いなりになりませんでした。

曹植は自らの執事が自分をかしこまらないに事にイラついており、

刑顒との関係はあまりいい関係を築いていけませんでした。

 

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後継者の相談を受ける執事

 

刑顒はその後曹植の家の執事から曹操の属官として、

人事の任命を仕事とする東曹掾(とうそうえん=役人を担当部署へ任命する責任者)の

役職へ異動する事になります。

彼はこの仕事に就任した時ちょうど曹家の後継者問題が勃発した時期でした。

曹操は曹丕と曹植どちらに家を継がせようか迷っていたため、

参考意見として曹植の家の執事をしていた刑顒へ

「曹植を後継者にした方がいいかな」と相談。

すると彼は「嫡男を後継者とするのが世の決まりとなっております。

この決まりを崩さない方がいいのではないのでしょうか」とアドバイスをします。

このアドバイスを聞いた曹操は自らの後継者を決める上で彼の意見を参考にしたそうです。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

曹植の家をしっかりと取り締まったことが原因で、曹植との仲が悪くなった刑顒。

しかし刑顒の言い分としては「御曹司だからといって甘やかしてはその人のためにならない」

と考えたからこそ、

曹植に嫌われようが家宰として曹植の家をしっかりと治めたのではないのでしょうか。

まさに三国時代の厳しいメイドさんと言える人物ではないのでしょうか。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書2 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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