曹操から「悲しいかな奉孝(ほうこう)、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝」
と曹操から特にその死を悼まれた郭嘉(かくか)。
曹操の軍師として活躍していた人物です。
実は郭嘉はもう一人いたことをご存知でしょうか。
同姓同名の人物がもう一人いてその二人が曹操へ進言を行ったのでしょうか。
それとも兄弟で一緒の名前だったのか。
一体全体どういうことなのでしょうか。
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劉備が曹操のもとへ逃げてくる
劉備は呂布に徐州(じょしゅう)の地を奪われると小城である小沛(しょうはい)の城を与えられます。
しかし再び劉備は呂布軍の精鋭部隊の攻撃を受けて敗北してしまいます。
劉備はそのまま曹操の本拠地となっていた許(きょ)へ逃げ込んでくることになります。
曹操は彼がやってくると大いに喜んで彼をもてなして豫州(よしゅう)の牧に任命されるよう皇帝へ上奏。
劉備は曹操のおかげで豫州の牧を拝命することになります。
程昱(ていいく)らの進言
程昱(ていいく)らの家臣達は劉備を厚遇している曹操に対して
「殿。早く劉備を殺害してしまったほうがいいでしょう。
奴は絶対に人の臣下となるような人物ではありません」と強く忠告。
しかし曹操は彼らの進言を受けることをしませんでした。
一人目の郭嘉の進言:魏書の郭嘉の進言
郭嘉は曹操から「劉備を早く始末してしまったほうがいいと進言を受けたのだが、
お前の考えはどうだ」と質問。
すると郭嘉は「今、劉備には英雄の風貌があるともっぱらの評判であります。
もし殿が弱って逃れてきた劉備を殺害してしまえば、
民衆からは英雄を殺してしまった暴君であると噂されるかもしれません。
さらに殿の家臣達は殿の行動に不審感を抱き忠誠を尽くすことに
疑問を感じるかもしれません。
もし劉備を殺して家臣達が去ってしまったら殿はどのようにして天下を平定していくのでしょうか。
私が考えるにこのような弊害が起きた可能性と劉備を殺害する可能性を考慮すると
彼を殺害する方が損ではないのでしょうか。
彼を殺害して得る利益がほとんどない以上殺害することはないでしょう」と劉備を殺害することに反対。
曹操は郭嘉の進言を聞くと頷いて彼の進言を取り入れることになります。
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二人目の郭嘉の進言:「傅子」に記載されている郭嘉の進言
郭嘉は劉備を厚遇している曹操に対して
「殿。やつは人心を取るという不思議な能力を持っております。
また義兄弟である関羽と張飛は一人で一万人と戦えるほどの武将であり、
劉備のためならば死を賭して戦うことでしょう。
そんな彼が殿の臣下として働くことが出来るでしょうか。
答えはNOです。
早いところ彼を殺害してしまった方がいいでしょう」と進言。
しかし曹操は彼の進言に従うことなく袁術軍の北上を阻止するために軍勢を貸し与えて、
出陣させてしまいます。
郭嘉と程昱は激怒しながら「殿。奴は絶対に殿に背いてしまいますぞ」と忠告。
このふたりの忠告通り劉備は曹操から離反することになってしまいます。
この郭嘉の進言は「傅子(ふし)」と言う書物に書かれている発言です。
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三国志ライター黒田レンの独り言
さて郭嘉が二人いるという答えは二種類の書物に彼の発言が書かれていたからでした。
ほんとに二人郭嘉がいると思っていたはじさん読者の皆様は申し訳ありませんでした。
劉備を殺すなと進言している郭嘉と劉備を殺せと進言している郭嘉。
ふたりの郭嘉には共通点があり、
曹操の利点と弊害を予測して進言を述べているということです。
劉備を殺すなと言った郭嘉は劉備を殺した時の弊害を説いて、
殺さないでそのままにしている方が利点があるよと進言しております。
また劉備を殺害しろと言った郭嘉は、
殺したほうが曹操にとって最大の利点になると言うことを説いております。
どちらの郭嘉も劉備が最大の敵になるであろうことを予測して曹操に進言しており、
もし自分が曹操だったらどっちをとるか迷ってしまいます。
皆様は自分を曹操だと妄想してどちらの郭嘉の意見を採用しますか。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志 今鷹真・井波律子著など
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