官渡の戦いは郭嘉なくして成功しなかった?曹操を裏で支えた男の手腕とは

2022年8月31日


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荀彧と曹操

 

戦場で活躍をするのは武将たちだけではありません。荀彧(じゅんいく)のように後方を支援する人物や荀攸のように計略を授けて戦を有利に展開するなど、俗に言う軍師の存在も不可欠です。

 

郭嘉を曹操に推薦する荀彧

 

曹操(そうそう)の配下には謀略を巡らせたり、外交や内政に長けたりと有能な人材が多くいましたが、その中でも曹操からの信頼が厚く、死を惜しまれたのが郭嘉(かくか)です。

 

曹操と郭嘉

 

郭嘉は袁紹(えんしょう)の息子たちとの戦いや烏桓討伐(うかんとうばつ)での活躍が印象にありますが、官渡(かんと)の戦いの数年前から対袁紹戦の準備をしていました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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官渡の戦いの背景

官渡の戦い 騎馬兵

 

官渡の戦いは袁紹と曹操が中原一帯の覇権を争った戦いで、攻めたのは河北を制した袁紹です。もともと袁紹は公孫瓚(こうそんさん)と争っていましたが、官渡の戦いの前年にこれを滅ぼし、周囲には曹操以外に敵がいない状態でした。

 

献帝を傀儡化する曹操

 

曹操は献帝(けんてい)を有して官軍となりながらも、四方に敵がいて予断を許さない状況。また、曹操と袁紹は昔ながらの友人同士であり、一時は互いに協力関係にもありました。

 

献帝を保護する曹操

 

しかし、それぞれが領土を拡大し、さらに曹操が献帝を擁立したことで関係は悪化していきます。どちらも人の下に付くタイプではなく、領土も黄河を挟んで南北に展開していたことから、二人が衝突するのは時間の問題でした。

 

公孫瓚を倒した袁紹

 

そんな中、公孫瓚との長きにわたる戦いを制し後顧の憂いを断った袁紹は、徐州(じょしゅう)で独立した劉備(りゅうび)が同盟を持ちかけたことで南征を決めたのです。

 

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郭嘉の功績

 

郭嘉は官渡の戦いおいて直接的な功績は上げていません。しかし、戦が始まる数年前に曹操にアドバイスをしています。これが結果的に官渡の戦いを有利に運ぶ結果となりました。

 

呂布にとどめを刺すよう曹操に献策する郭嘉

 

それは曹操が献帝を擁立し、大きな権力を手にしたものの袁紹は不遜な態度を取り続けた時の事です。曹操は郭嘉に対して袁紹をどうにかしたいと相談をします。しかし、郭嘉はすぐに袁紹を攻めるのではなく、呂布(りょふ)を先に討つよう進言しました。

 

その際に曹操が袁紹よりも勝っている点を10通りに渡って説明しています。

 

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曹操が袁紹に勝る点

郭嘉

 

郭嘉が曹操に語ったのは以下の内容です。

 

・道が勝る 袁紹は面倒な礼節や作法にこだわるが、曹操は自然体である

・義が勝る 天子に逆らう袁紹は逆賊、擁立する曹操は官軍である

・治が勝る 袁紹は政治が緩すぎて失敗した漢を寛大さで救おうとしているが、曹操は厳しさをもって治めている

・度が勝る 袁紹は猜疑心が強く身内しか信用しないが、曹操は才能で判断する

・謀が勝る 袁紹は決断力が乏しく機を逸するが、曹操は決断が早く変化に応じられる

・徳が勝る 袁紹のもとには上辺を飾った者ばかりが集まるが、曹操のもとには大望ある有能な人物が集まる

・仁が勝る 袁紹は目に見える問題しか把握できないが、曹操は見えないことも考え対処できる

・明が勝る 袁紹のもとでは臣下の讒言(ざんげん)がはびこっているが、曹操のもとにはそれがない

・文が勝る 袁紹はものごとの是非を判断できないが、曹操は是には礼をもって推し進め、非は法を持って正す

・武が勝る 袁紹は虚勢ばかりで兵法を知らず、曹操は神の如き用兵で寡兵をもって大軍を打ち破る

 

これを聞いて安心した曹操は郭嘉の言を受け入れ、呂布討伐に向けて動き出しました。

 

孫策が早死すると予見する郭嘉

 

実際、曹操は官渡の戦いにおいて北の袁紹だけでなく、袁紹に亡命した劉備が攻めた汝南など前後から攻められましたし、劉表(りゅうひょう)孫策(そんさく)にも警戒が必要でした。もし呂布が生き残っていたとしたら曹操に勝ち目はなかったでしょう。

 

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郭嘉の言を検証

郭嘉

 

郭嘉が語った曹操が勝っている点は、官渡の戦いで顕著にあらわれています。

 

「度」と「謀」で言えば、袁紹は身内を贔屓して、袁譚(えんたん)袁煕(えんき)高幹(こうかん)に1州ずつ任せました。しかし、袁譚はまともに統治をせずに戸籍の管理もできていません。その結果、租税は3分の1程度しか徴収できませんでしたし、他の州でも官渡の敗北後に反乱が起きています。

 

後継者を決めずにダラダラする袁紹

 

劉備が徐州で反乱を起こした際、曹操は自ら遠征をしていますが、袁紹は息子の病気を理由に許都急襲を実行できませんでした。

 

沮授

 

「明」に関しては、郭図が沮授(そじゅ)を敵視し、諫言をもって監軍であった沮授の権利を分割。逢紀(ほうき)は獄に繋がれた田豊(でんほう)を殺すよう袁紹をけしかけています。

 

袁紹を説得しようとする沮授

 

他にも沮授や田豊の持久戦論に対して審配と郭図が反対意見を述べるなど対立は度々発生し、「文」で語られているように袁紹はこうした問題を処理しませんでした。こうした対立問題に加え後継問題も曖昧にしたために、袁紹の死後は臣下が袁譚派と袁尚派(えんしょうは)に分かれて内部崩壊を引き起こしたのです。

 

袁紹を裏切り兵糧庫の場所を曹操に教える許攸

 

許攸(きょゆう)の裏切りについても袁紹がその進言を取り入れず、不満をつのらせたことが原因となっています。

 

許攸の進言を無視する袁紹

 

「武」と「道」に関しては、河北を平定して間もなく遠征をしたこと、さらに大軍曹操を包囲し殲滅(せんめつ)したいという袁紹の見栄っ張りな性格が当てはまります。結果的に戦闘を長期化し、味方の裏切りによって敗北を喫しました。

 

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三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

曹操は郭嘉だけでなく、荀彧に対しても不遜な袁紹をどうにかしたいと相談しています。荀彧もまた郭嘉と似た回答をしていますが、郭嘉ほど具体性のある内容ではありませんでした。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

また、荀彧も袁紹よりも先に呂布を討つよう進言していますが、郭嘉は呂布の討伐戦にも従軍し、撤退を考える曹操に攻撃の継続を主張。最終的に城を陥落させて呂布を処刑するに至りました。

 

荀彧

 

荀彧はどちらかといえば関中で暴れていた馬騰(ばとう)韓遂(かんすい)を抑える手段として、鍾繇(しょうよう)の派遣を進言しています。こちらも官渡の戦いでは大きな意味を持ちましたが、これは鍾?自身の功績が大きいです。

 

曹操と荀彧

 

荀彧は大まかな戦略を立て、それに見合う人物を推挙し、時には曹操を精神的に支えましたが、郭嘉は自身も積極的に関わっている点で違いが見られます。個人的にはそんな郭嘉が官渡の戦いにおける一番の功労者であると考えます。

 

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TK

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KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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