「ローカルスタッフとは言葉もろくに通じなかったでしょう」長沙太守(ちょうさたいしゅ)韓玄(かんげん)の記事で、私はそう書きました。え~、嘘っこだべさそんなの。おんなじ中国語どうし、ちーとなまってるだけなんでないかい?
この記事の目次
中国語ってなに?
「中国語」は、中国の言葉、という意味です。中国、めっちゃ広いです。内モンゴル自治区とか新疆ウイグル自治区とかも、中国です。モンゴル語やウイグル語も中国語と言えてしまう。首都の北京で生まれ育った人が聞いて一言も分らない言葉でも中国語。「中国語」には、少数民族の言葉も含まれるんですね。
じゃあNHK中国語講座とかでやってる中国語ってなに?
日本でふつうに「中国語を勉強しようっと」って思った時に習うやつ、あれは「普通話(プートンフア)」というものです。中国人の多数を占める漢族と呼ばれる人々の言葉をもとにしてできました。主に北京語をもとにしてできているようですが、北京人の言葉ともずいぶん違っており、普通話を普通にしゃべる人なんかいないんじゃないでしょうかね。人工的に整備された言葉です。この普通話の発音記号を、中華人民共和国の人たちは小学校で習いますよ。少数民族でも普通話を習うことが推奨されています。中国の公用語なんで。
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公用語「普通話」は通じるんでしょ?
いかに中国広しといえども、テレビやラジオがあり、学校でも習う普通話は、よほどの秘境でない限り、けっこう通じます。自分では上手に発音できなくても、言われたことは聞いて分るという程度には普及しています、秘境でない限り。私は以前、北京人と重慶人が全く会話できていない現場を目撃したことがありますが。
(重慶は秘境じゃないよ。水上交通の要衝、工業都市、中国で四つ目の直轄市)北京人は普通話をしゃべっていたから、その時の重慶のおばちゃんがたまたまテレビやラジオをあまり視聴しない人だったんでしょう。おばちゃんは自信満々に漢語(漢族の言葉)をしゃべっていたのですが、発音や語彙が普通話からかけ離れすぎていて、これは漢語であるらしい、という程度しか分りませんでした。私あ外人だからいいんですが、北京っ子にも通じないってのはすさまじい方言ですよ。
テレビやラジオがなかったらお手上げ!
現代ではテレビやラジオで気軽に普通話の発音を学べますが、それがなかったら身近に交流する機会のある人同士でしか言葉なんか通じませんよね。春秋時代(しゅんじゅうじだい)の呉(ご)王の夫差(ふさ)が斉(せい)を攻略しようとした時に、幕僚の伍子胥(ごししょ)がこう言ってますよ。
「だめです。斉と呉とでは習俗が違い、言葉も通じませんから、その地に落ち着くこともできなければ民を使うこともできません」
言葉が通じなければ民を統治できない?
始皇帝(しこうてい)が統一する以前の中国は、バラバラの国に分かれていて人の行き来も自由じゃなかったでしょうから、しゃべり言葉も土地によってバラバラだったはずです。始皇帝さん、天下を統一したはいいけれど、言葉が通じない各地の民をどうやって統治したのでしょうか。
その問題は、文字を統一することで解決されました。秦が統一する以前は各国で異なる文字を使っていましたが、始皇帝が文字を統一して、筆談ができるようになったのです。
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始皇帝は偉大!
中国語のできない日本人ビジネスマンが中国へ出張に行き、仕事終了後の息抜きに女の子のいる楽しいお店に入った時に、紙とペンを持って筆談で女の子との交流を図る、なんていう絵面、よく見ませんか?
中国なら漢字が通じるから意思疎通できるんですね。私の父は中国でトイレに入った時にトイレットペーパーがないことに気づき、外の人に「無厠所的紙」と書いたメモを差し出したら無事トイレットペーパーを持ってきてもらえた経験があるそうです。文法も語彙もちょっぴり変ですが、漢字の字面を見れば意味は通じます。そんなことができたのも、始皇帝のお影ですね。始皇帝が統一したばかりの各国の人たちも、こんな要領でコミュニケーションをとっていたことでしょう。
三国志ライター よかミカンの独り言
ところで、「ベトナム」という国名、何語だと思いますか?
もちろんベトナム語なんでしょうけど……。中国語ではベトナムのことを「越南(ユエナン)」と言います。ベトナムとユエナンは全く別物のように見えますが、「越南」を日本語の漢字の音読み通りに「エツナン」と読むとどうでしょう。「エツナン」と「ベトナム」、ちょっと似てますよね。
いずれも「越南」という漢字の古い読み方の音が残ったものです。ベトナムとエツナンとユエナンが同じものであるというのは耳で聞いただけでは想像もつきませんが、漢字で「越南」と書いてもらえばナットク。始皇帝が統一したばかりの中国で、はるか離れた楚(そ)の人と燕(えん)の人が筆談で交流するなんていう光景は、日本人とベトナム人が漢字で筆談するというくらいのミラクルだったのです。
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