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【君主vs名士】孫権よりも名士の権力が強かったってマジ!?

2018年2月2日


 

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曹操(そうそう)は儒教国家に君臨している名士勢力を何とかするため、

色々と工夫しながら名士の力を削いできました。

また劉備(りゅうび)は名士出身の諸葛孔明(しょかつこうめい)となんとか

折り合いをつけながら自らが建国した蜀を維持することに苦労していました。

このように三国志では君主自らの力を強化するため、

名士間の強い力を削いで組織を乗っ取られないようにしていました。

しかし呉では君主・孫権(そんけん)よりも名士出身の張昭(ちょうしょう)のほうが強く、

孫権は非常に苦労していたそうです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫呉で力を持っていた名士・張昭

 

張昭は孫権に対して厳しい意見を言ったり、

孫権の行動にきつい言葉で度々注意していました。

例えば酒好きの孫権がハメを外してドンチャン騒ぎをした時、

張昭は激怒して孫権を厳しく注意。

またある政策の時に張昭は孫権を激しく批判しています。

張昭が孫権に遠慮することなくこれだけズバッと意見を言えるのは、

張昭が孫呉政権でかなりの力を持っていることを表しているでしょう。

孫権は名士出身で孫呉の名士勢力の代表・張昭の厳しい意見ばかり聞いて、

我慢していましたがついに「君主なめんじゃねー!!」と激怒。

孫権は名士代表・張昭へ反撃を開始することにします。

 

名士から推薦を受けていた張昭を丞相から外す!!

 

孫権は張昭から厳しい意見や批判ばかり受け我慢していましたが、

ついに堪忍袋の緒が切れて張昭へ反撃を行います。

孫権は孫呉の初代丞相を設置する為の会議を開催。

名士出身の家臣達はみんな張昭を丞相にするべく孫権へ推薦します。

しかし孫権は張昭を孫呉の初代丞相にしないで、

孫邵(そんしょう)を丞相に任命。

そして初代丞相・孫邵が亡くなった後、

二代目丞相を決める会議が始まります。

孫権の家臣は今度こそ張昭を丞相にするべく再び孫権へ張昭を推挙。

だが孫権は張昭を丞相にすることなく違う人物を丞相へ任命します。

孫権は上記の丞相任命から分かるように君主の方が張昭よりも強いことをアピールし、

孫呉の名士勢力達へ「どうだ俺のほうが偉いんだぜ」と示すのでした。

こうして孫権(君主)と張昭(名士)の戦いは終わることになりますが、

再び勃発することになります。

 

―熱き『キングダム』の原点がココに―

 

外交政策で激しく対峙

 

孫権は遼東の公孫淵(こうそんえん)から「孫呉に従いたい」と

申し入れがありました。

孫権は公孫淵の申し入れを非常に喜んで多くの貢ぎ物をもって、

公孫淵へ使者を派遣することにします。

張昭は孫権へ「公孫淵に貢ぎ物を送っても無駄です。

その理由は公孫淵が孫呉へ従う意思がないからで「無駄な出費はやめなさい」と厳しく注意。

孫権はこの張昭の意見を聞いて激怒し張昭を宮殿から追い出してしまいます。

張昭は宮殿から追い出されると病気を理由に宮殿へ二度と行かない意思を見せます。

孫権は張昭を呼び出しても宮殿へ来ないことに激怒し、

張昭が家から外へ出れないよう門を塞いでしまいます。

 

張昭は孫権から家の門を塞がれると内側から門を塞いで、

二度と外へ出ない意思を見せつけます。

こうして孫権Vs 張昭の仁義なき戦いが始まります。

 

張昭の言う事を無視した結果…。

 

孫権は張昭や他の名士たちの言葉を無視して公孫淵へ使者を派遣。

結果…張昭の言った通り公孫淵が孫権へ臣従する意思が無いことが判明します。

孫権は張昭の意見が当たり、自らの意見が間違っていた事を張昭に謝るべく、

張昭邸へ向かいますが会ってくれませんでした。

孫権は張昭が家から出てこないことに激怒し、ある行動に移ります。

 

張昭邸を放火

 

孫権は張昭が会わずに家に閉じこもっている事を知って激怒し、

張昭邸を燃やすように命令。

張昭は家を燃やされても一歩も家から出ずに引きこもっていましたが、

息子達に担がれて家から出ることになるのでした。

こうして張昭は間一髪家から脱出することになり、命が助かります。

 

君主権力が名士勢力に屈服!?

 

孫権は張昭が家から出てきたことを知ると急いで自分の馬車へ迎え入れ、

張昭と一緒に宮中へ向かうのでした。

この時孫権は張昭へ謝罪。

そして孫権は馬車の中で張昭へ

「呉の家臣は宮中では私を敬うが、宮中から出たら君を敬っている。

君が私を敬っている事を知っているが、どうして家臣の前で私に厳しいことを言うのだ。

私としては君主としての建前もあるからあんまり厳しいことを言わんといて」

お願いします。

しかし張昭は「いや。今まで通りやらせてもらいます」と孫権に向かって、

一言厳しい言葉を述べたそうです。

孫権はこの言葉を黙って聴いて頷いてしまうのでした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

孫呉の名士勢力は宮中の中では君主を敬うが、

宮中を出れば名士勢力が君主を敬っていないということです。

そしてこれを孫権と張昭に当てはめると孫権は宮中では張昭より上だけど、

宮中の外では孫権(君主)ともいえども張昭の上には立てないと言うことです。

この結果、孫権よりも張昭の方が強いという事が言えるのではないのでしょうか。

 

参考文献 SB新書 三国志「その後」の真実 渡邉義浩・仙石知子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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