蜀(しょく)の初代皇帝劉備(りゅうび)が一介の傭兵隊長として
荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)に身を寄せていた頃のことです。
劉表が亡くなり、その後を継いだ劉琮(りゅうそう)が劉備の宿敵である曹操(そうそう)に
降伏してしまったため、劉備は荊州から逃走することにしました。
逃走中、長坂(ちょうはん)で曹操軍に追いつかれ、劉備の一行は
さんざんな目に遭いました。
この「長坂の戦い」のてんまつ、三国志演義だとなんだかおかしいのです。
劉備がひどい偽善者のように見えてしまうのです。
※三国志演義は歴史書の三国志をもとに書かれたフィクション要素のある歴史小説です
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腹立ちまぎれに儒者を刀でおどかす劉備
三国志演義の劉備さんは仁徳の人として描かれており、優しそうなイメージがありますが、
荊州が曹操に降伏してしまったことを知った時の劉備オヤビンは
ただのおっかないオッサンです。
劉琮の降伏を曹操に伝える使者である宋忠(そうちゅう)を劉備の弟分の関羽(かんう)が
捕まえて来たことで荊州の降伏を知った劉備は、剣を抜いて宋忠につきつけながら
「おまえをぶった斬ってやりたいところだが、そんなことでは俺の怒りは収まらない。
とっととうせろ」と言っております。宋忠は高名な学者さんなのですが。
非力な儒者を刀でおどかす大人げない劉備さん。
ふだんのイメージとのギャップが刺激的です。
波動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志』
新野(しんや)城を火の海にする劉備
曹操軍が北から迫ってくると、劉備はそれまで駐屯してきた新野(しんや)城を捨てて
南の樊城(はんじょう)に向かいました。
その際、新野の住民に「曹操軍が来れば必ず不仁の挙に及び、市民を傷つけ害する
であろう」と触れ回って脅かして、住民たちにも新野を捨てて自分に同行するよう
勧告しました。
こうして城の住民を連れ出した劉備は、軍師の諸葛亮(しょかつりょう)の計略に従って、
曹操軍の先鋒が新野に入城したところを焼き討ちしました。
住民を無理やり移動させたのは、自分が街を焼いてしまうためだったのです。
劉備は“曹操軍がひどいことするぞー”って市民を脅していましたが、
曹操軍は自分たちの領土となる街にひどいことするわけありません。
ひどいのは劉備オヤビンです。
民をおもんぱかるポーズをとる劉備
大勢の市民を連れて荊州の州都である襄陽(じょうよう)に向かう劉備。
襄陽の北を流れる漢江(かんこう)を渡る時に、少ない船に大勢の市民が
乗ろうとするので川辺は大混乱。
市民に苦労をかけたことを悲しんで川に身を投げようとする劉備さん。
これ絶対お芝居ですよね。
ここまであまたの屍を踏みながら歩んできたど根性人生をこんなおセンチな理由で
投げ出せるはずありません。
死ぬほどみんなのことを心配しているよ、というポーズをとっただけでしょう。
そうこうしながら襄陽に着くと、襄陽の武官の魏延(ぎえん)が劉備に内応して城門を開き、
劉備に入城を促しますが、それを阻もうとする文聘(ぶんぺい)の兵と魏延の兵で
チャンバラが始まり、劉備は民に被害が出ることをはばかり襄陽への入城を諦めました。
これ、ただ単に襄陽を占拠しても守り切れないと判断しただけなんじゃないでしょうかね。
内応者が魏延一人だけでは、力づくで占拠できたとしてもそれで曹操軍を阻むことは
おぼつきません。そういう判断で入城をやめるにしても、口先では民への被害を
心配したように言っておけば好感度アップです。
転んでもタダでは起きない劉備さん。
民を盾にして逃げる劉備
襄陽に入ることを諦めた劉備、さらに南方の江陵(こうりょう)を目指すことにしました。
部下たちは、足手まといになる市民は放っておいて幹部と軍隊だけで江陵に急行する
ことを劉備に勧めましたが、劉備は「大事をなすには必ず人を以て本と為す」と言って、
民を捨てていくことを拒みました。
「人を以て本と為す」、つまり「マンパワーが資本」ってことですね。
連れ歩いて、着いた先で屯田させたり兵隊の供給源にしたりできればおトクです。
こう言っていた劉備さんですが、いざ曹操軍に追いつかれた時には、市民たちはおろか
妻子までも放っておいてスタコラサッサと逃げております。
それはいいのですが(死んでしまっては元も子もありませんから)、
そうなることは予測できたのになぜ市民を連れてのろのろと進んでいたのかが不思議です。
これは、市民を盾にしたのではないでしょうか。
幹部と寡兵だけでパッパカ進んでいれば、すぐに曹操軍に見つかってやっつけられて
しまいますが、大勢の市民と一緒なら市民が大混乱になったところに紛れて上手に
逃げられます。
曹操軍の兵士が市民から略奪を始めて追跡が鈍ることが期待できますし、
そうなれば曹操の評判を悪くする効果もあります。
ボクはいつでも民を見捨てないよー、悪いのは曹操だよー、って言いながら、
民を煙幕がわりにしてトンヅラした劉備さん。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志演義を冷静に読むと、上記のような解釈になるのではないでしょうか。
三国志演義は劉備のことを仁徳の人として描いているようでありながら、
実は偽善者のヒールとして読ませようとしているのではないかとさえ思えてきます。
人を裏切る癖のある呂布(りょふ)が劉備のことを
「こいつこそ一番信用できない奴だぞ」と言ったという
正史三国志にある印象的な逸話を三国志演義は採録しています。
仁徳の人にしておきたいならカットしてもいいのにです。
劉備を偽善者ヒールとしてとらえると、三国志演義は俄然ダイナミックになります。
「俺は天下の人にそむいても、天下の人間が俺にそむくことはゆるさん」と堂々と
言ってしまう曹操よりも、仁徳の人づらをしながらしたたかにベストポジションを
模索しつづけ最後には皇帝にまでなってしまう劉備のほうが大物のような気がしませんか。
そう考えれば、三国志演義はお人好しのおじさんがなぜだかひいきされている
不可解なお話ではなく、ゾクゾクするような大物ヒール対決になるのです。
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