諸葛亮が劉禅の教科書に選んだ『韓非子』とは?


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劉禅

 

諸葛亮(しょかつりょう)劉備(りゅうび)の後を継いで蜀漢(しょっかん)を背負う劉禅(りゅうぜん)に『韓非子(かんぴし)』を薦めています。当時は儒家思想が重んじられていましたから、帝王学を学ぶなら『書経(しょきょう)』を薦めるべきなのでは?と思うところ。

 

ところが、諸葛亮は法家のテキスト『韓非子』に蜀漢王朝の理想的な姿を見出したのでしょう。そんな諸葛亮イチオシの『韓非子』とは一体どのようなことが記された書物なのでしょうか?

 

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戦国時代が生んだ諸子百家

戦うモブ

 

『韓非子』は中国の図書分類法・四部分類では子部に置かれています。子部とはすなわち諸子百家のことです。大義では儒家も諸子百家の1つであるとされていますが、儒家は四部分類では独立して経部を成しています。ところで、諸子百家(しょしひゃっか)とは何なのでしょうか?これをおさえていないとチンプンカンプン。まずは三国時代からさらに遡り、春秋(しゅんじゅう)・戦国時代についてさらっておく必要があります。

 

その昔、周という王朝がありました。周は(いん)紂王(ちゅうおう)の暴政に耐えかねた武王(ぶおう)によって建てられた王朝です。この周の政治は素晴らしく、孔子(こうし)も大絶賛するほどのものでした。ところが、その周王朝も時代が下るにつれて力が弱まり、それに反比例するように周辺の諸侯たちの力が強くなっていきました。そんな諸侯たちはいつのまにやら王を名乗りだし、自らの領土を広げようと隣国に襲い掛かりました。

 

炎上する城b(モブ)

 

強い国が弱い国を飲み込んだかと思えば、ぽっと出の小国が大国を飲み込むなど、誰も先が予想できないほど激しい戦が繰り広げられ、いよいよ波乱の戦国時代が幕を開けたのでした。そんな戦乱の世を儚み、どうにかならないものかと頭を捻った人たちがいたのです。それこそが、諸子百家と呼ばれる者たちでした。


韓非の苦悩

韓王と韓非

 

戦国時代、戦国の七雄の一角をなすものの、七雄の中で最弱ともいえる韓の公子に生まれた韓非(かんぴ)。彼はどもりが酷く、幼少期を兄弟たちに馬鹿にされて過ごしました。これを受けて、韓非は「何言っているかわからない」と馬鹿にしてくる兄弟に対抗するために、文字によって自分の言葉を伝えるようになります。

 

これが、後に『韓非子(かんぴし)』を執筆する礎となったのでしょう。韓非は「人の性は生まれながらにして悪だ」という性悪説を説く荀子(じゅんし)の元で学びます。その後、故郷・韓で荀子の元で学んだことを活かしたかった韓非でしたが、何を言っても韓王には軽視され、韓非はいつも悶々とした思いを抱えながら過ごしていました。

韓非

 

「このままでは秦に飲み込まれてしまうのも時間の問題だ…。しかし、韓王には何を言っても用いられることはないだろう…。」

わが身を憂いた韓非は、その思想を文字に起こします。これこそが『韓非子』です。

 

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始皇帝に見出される

始皇帝の政

 

故郷では軽んじられていた韓非に転機が訪れます。使者として秦に出向くことになります。後に始皇帝(しこうてい)となる秦王・嬴政(えいせい)は韓非の『韓非子』を読んで驚嘆。まさに目から鱗が落ちる思いがしたのでしょう。人は利己的な生き物。人が少なかった頃、争いは無かった。しかし、今は人が増えて争いが後を絶たなくなってしまった。平和だったころの法や罰はもはや無意味だ。戦乱の世には戦乱の世に合った法や罰が必要だ。

 

平和だった頃は所謂(いわゆる)「道徳」とやらを期待してよかったかもしれないが、今の世で目に見えないあやふやな「道徳」などを求めるのは難しいこと。君主は法を明文化し、それに則って臣下に賞罰を与えるべきだ。

 

古いものにしがみつく儒家思想とは真逆に、常に新しいものを追い求めること、目に見えるものだけを信じるということ、当たり前のようで当たり前ではなかったことを提言する『韓非子』の智慧に嬴政も(うな)ります。

 

李斯

 

嬴政は韓非を是非とも自分の配下に迎えたいと目を輝かせますが、それを面白くなく思っていた者があったのです。


同門の讒言でこの世を去る

韓非と李斯

 

秦には、かつて荀子の下で共に学んだ李斯(りし)という人物がいました。李斯は当時、秦の政を中核で担う立場にありましたが、突然現れたかつての同門にその立場をかすめ取られると思った彼は、韓非についての讒言(ざんげん)を嬴政に吹き込みます。これを真に受けた嬴政は韓非を投獄。うまいこと韓非を牢獄に追いやった李斯は、韓非に服毒自殺を迫ったのでした。韓非はこれを受け入れ、自ら命を絶ったのでした。


  

諸葛亮が『韓非子』に託した願い

諸葛亮

 

諸葛亮は、信賞必罰を地で行く人物でした。そんな彼の言動の端々には法家的な思想が見え隠れしています。儒教という曖昧な思想に縛られた結果滅んでしまった漢王朝を反面教師にしたのでしょうか。しかし、それだけではないはずです。

 

諸葛亮の祖である諸葛豊(しょかつほう)は前漢時代の政治家で、剛直で正義を重んじる人でした。しかし、彼の規律に厳しすぎる性格は当時の人々に煙たがられ、最後には官位を剥奪(はくだつ)されてしまっています。諸葛亮は理不尽な思いをして寂しい最期を迎えた祖先を思いながら、『韓非子』を劉禅にすすめたのかもしれません。劉禅が法に基づいて適正に人を評価する君主になることを願って…。

 

※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。

 

元記事:劉禅が読んだ韓非子ってどんな本?

 

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