蜀の丞相・諸葛亮。公平無私で働き者のナイスガイです。私利私欲や私怨で動くような人ではなく、とてもクリーンなイメージがありますが、そんな素敵な彼が部下の武将を罠にはめて焼き殺そうとしたという衝撃的な逸話があるのをご存知でしょうか。
吉川英治さんの小説や、それをもとにして書かれた横山光輝さんの漫画の三国志にはそのシーンがありますが、三国志演義のメジャーな版本にはそんなシーンはありません。それは吉川英治さんの創作なのでしょうか?逸話を振り返りながら、その出所をさぐってみましょう。
この記事の目次
扱いづらい魏延の抹殺をもくろむ
蜀の武将・魏延は自信も実力も実績もある優秀な将軍でした。その能力ゆえに、諸葛亮の指揮に対していつも不満を抱いていました。丞相の用兵は慎重すぎる、丞相のせいでいつも勝機を逃している。このような気持ちが態度にも表れ、諸葛亮は扱いづらさを感じていました。吉川英治三国志では、諸葛亮が敵の大将・司馬懿を罠にはめて焼き殺す際、魏延もいっしょに焼き殺そうと計画します。
魏延焼殺作戦
表面上は司馬懿をたおすだけのまともな作戦です。あらかじめ可燃物を仕込んでおいた谷間に司馬懿を誘き寄せ、谷の出口を閉じてから火矢を射かけて焼き殺すというもの。司馬懿を谷間に誘き寄せる係に任命されたのが魏延です。
しかしここで、諸葛亮は谷の出口を閉じる係の馬岱に、魏延も一緒に谷に閉じ込めてしまうようにさせました。作戦は計画通りに実行され、魏延は司馬懿とともに谷に閉じ込められ炎に包まれました。事態を悟った魏延はこのような怒号をあげます。
「さては、孔明の奴、日頃の事を根に持って、俺までを、司馬懿と共に殺そうと計ったにちがいない。無念、ここで死のうとは」
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作戦失敗!馬岱に罪をなすりつける
司馬懿と魏延を閉じ込めた谷で燃えさかる炎。そのとき、突如として豪雨が降り始めました。これで火は消え作戦は失敗。司馬懿と魏延は命拾い。諸葛亮はがっくり肩をおとします。陣に帰還した魏延は声高に不満を漏らし、陣中に不穏な空気が流れます。諸葛亮は魏延にたずねました。
「ご辺がしきりに怒声を放っているということだが、何が不平なのか」
「それは丞相自身のお胸に訊いてみるのが一番でしょう」
「はて。わからぬが」
魏延から、あやうく司馬懿と一緒に焼き殺されるところだったがわざとだろうと図星をさされると、諸葛亮はすっとぼけて谷の出口を閉じる係の馬岱が手違いをしたのだと言い、馬岱に罪をなすりつけ、杖刑五十に処し、将軍位を剥奪しました。馬岱は諸葛亮の指示通りにやっただけなのに……。
魏延粛清作戦の伏線
魏延は位を剥奪された馬岱を自分の副将として貰い受けます。自分を谷に閉じ込めた張本人を副将にするという神経がよく分かりませんが、きっと諸葛亮の説明を信じていなかったんでしょうね。こうして魏延のそばに貼り付くこととなった馬岱。これは後に馬岱が魏延を殺害する伏線です。
のちに諸葛亮が亡くなり、諸葛亮の意を受けて撤兵の指揮をとった楊儀が魏延を前線に置き去りにして自分たちだけさっさと撤兵を開始すると、魏延は激怒して楊儀の先回りをして撤退の通路を焼いてしまい、楊儀との対立姿勢をあらわにしました。そうこうしながら蜀の領内まで撤退した両陣営、ついに漢中で対峙することになりました。陣頭に馬を進めてきた楊儀は魏延にこう言います。
「――誰が俺を殺し得んやと、三度叫んだら、漢中はそっくり汝に献じてくれる。いえまい、それほどな自信は叫べまい」
なんですかね、この度胸試し大会みたいなの。魏延はこう応じました。
「だまれ、孔明すでに亡き今日、天下に俺と並び立つ者はない。三度はおろか何度でもいってやろう」
やめて、魏延さん!これは孔明の罠よ!
「誰か俺を殺し得んや。――誰か俺を殺し得んや。――おるなら出て来いっ」
「ここにいるのを知らぬか。――それっ、この通り殺してやる」
こうして魏延を殺めたのは、副将として貼り付いていた馬岱。これは諸葛亮が生前から、楊儀と馬岱に授けていた魏延粛清作戦なのでした。魏延が楊儀の言うことを聞かなかったら馬岱がやつを殺すんだよ、ってかねがね言ってあったんですね。このあいだ焼殺作戦失敗のしわ寄せで杖刑五十を食らったのにまだ諸葛亮に協力するとは、どんだけ忠犬なんですか馬岱さん。
ひいきの引き倒し
諸葛亮の気苦労と鬼謀神算ぶりを強調するこれらのエピソード。対立姿勢があらわになってから粛清するというのはまだしも、なんにもしてないうちから焼き殺そうとしたほうは、若干やりすぎ感がございます。この顛末を読んでなんとなく魏延に同情してしまい、アンチ孔明になった方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。(孔明は諸葛亮のあざな)三国志演義のメジャーな版本にはない魏延焼殺作戦、吉川英治さんの創作なのでしょうか?いいえ、違います!
吉川英治さんが参照した『通俗三国志』
現在メジャーな三国志演義は毛宗崗本という版本のものですが、毛宗崗本はそれより古くに成立していた李卓吾本という版本の不適切な部分をカットしたり、分かりづらい部分を分かりやすく書き直したりしながら作られたものです。李卓吾本には魏延焼殺作戦が書かれているのですが、毛宗崗本では不適切としてカットされています(ナイス!)。
このため現在よく読まれている三国志演義には魏延焼殺作戦はありません。吉川英治さんは、江戸時代に湖南文山という人が李卓吾本を翻訳した『通俗三国志』を参照しながら小説を書かれたので、この孔明上げすぎエピソードが入ってしまっているのです。
かつて日本では李卓吾本のほうがメジャーだった
三国志演義の完全な日本語訳は『通俗三国志』が初めてで、これが流行し、それを参照しながら書かれた吉川英治さんの『三国志』もヒットしたため、昭和四十年頃までは日本で三国志といえば『通俗三国志』か吉川英治さんの『三国志』でした。
昭和四十年代以降に村上知行さんや、立間祥介さん、小川環樹さん/金田純一郎さんの三国志演義の翻訳本が出るまで、日本語で読める三国志は李卓吾本系統の三国志物語ばかりだったのです。私たちが知っているような、魏延焼殺作戦なんて入っていない三国志演義が日本でスタンダードになったのは、つい最近のことです。(昭和四十年代はつい最近……?)
三国志ライター よかミカンの独り言
今ある三国志演義の日本語訳の本は毛宗崗本のばっかりらしいという噂を聞いたのですが、岩波文庫の三国志演義は毛宗崗本と、もっと古い版本の弘治本とを見比べながら面白いほうを採用して訳して下さっているようです。
基本的には毛宗崗本にそいながら、細かいところで時々なんの説明もなしに弘治本の文言をひっぱってきてあるところがなんとも面白いです。翻訳した方々がきっと『通俗三国志』のファンなんだろうな~と思いながら楽しく読んでおります。(弘治本も『通俗三国志』も、毛宗崗本でカットされた逸話を含んでいる)魏延焼殺作戦は、第七巻の巻末の訳注のところに載っています。ご興味のある方はぜひご覧になってみて下さい!
岩波文庫(赤)『完訳 三国志』小川環樹 金田純一郎 訳 1988年7月7日
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