【潼関の戦い】曹操が作成した甬道が合理的過ぎた


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泣きわめく曹操

 

潼関(どうかん)の戦いは馬超(ばちょう)韓遂(かんすい)はホームグラウンドであるのに対し、

曹操(そうそう)ははるか(ぎょう)からの遠征、さらに補給ルートも河東郡という長さでした。

10万の大軍を維持するには、補給が大変だったわけであり、

もちろん、馬超も補給線を破壊する事で曹操を脅かすつもりだったようです。

ところが曹操は甬道(ようどう)を作成して、補給を万全に保護した事で、

戦いに勝利する事が出来ました。

では、曹操が作成した甬道とは、どういうものだったのでしょう?

 

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甬道とは何か?

劉邦

 

 

甬道とは、元々、皇帝専用の道路を意味していました。

天子は、その姿をみだりに見せてはいけないので、建物から建物へ移動する時に

その通路の左右に土壁の遮蔽物(しゃへいぶつ)を設けて見えなくしたのです。

楚漢戦争(そかんせんそう)の頃、劉邦(りゅうほう)項羽(こうう)滎陽(けいよう)(きょう)(さく)の間で戦っていましたが、

食糧を奪われる事を防ぐ為に、甬道を築いて黄河につないで

敖倉(ごうそう)(ぞく)を調達したというような記録が出てきます。

曹操が造った甬道は、この劉邦が造った甬道に近いものでした。

 


 

車両をそのまま防御壁に利用する合理的な曹操

車両をそのまま防御壁に利用する合理的な曹操

 

曹操は潼関の戦いの前に、騎兵による突撃を心配する配下に対して、

ならば刺せないようにしてやろうと豪語しています。

ここに、曹操が甬道を作成して騎兵の突撃を阻止するプランを最初から

持っていた事が分かりますが、あいにく戦場になった黄河の西は、

砂が多い土壌で土塁を築くのにも苦労するという性質でした。

 

そこで曹操は、土の壁でも石や、木材を調達するのではなく、

補給物資の輸送の為に運んできた車両を横倒しにして並べ、左右に柵を置いて

中に()の狙撃兵を置いてガードするという方法を編み出したのです。

潼関の戦いの地図

 

この甬道は、蒲坂津(ほはんしん)を渡った所から黄河に沿い南下、次は渭水(いすい)に沿い

西に向かって進んでいて、曹操軍の補給地に繋がっています。

馬超は、この甬道に手も足も出ず、補給をかく乱して曹操を兵糧切れに

追い込むという当初の目的を果たせませんでした。

 

馬車や兵車は補給を行う上でどうしても必要になる輸送車両なので、

これをそのまま防御柵として使用するというのは、非常に合理的で

一から遮蔽物を築くよりは労力が少なくて済んだのです。

 

リアリズムと悪の教科書
君主論

 

古くから戦車を遮蔽物として利用した中国

古くから戦車を遮蔽物として利用した中国

 

中国では古くから馬車を横倒しにして遮蔽物とし、その内側に弩兵を配置して

騎兵の襲撃に備える戦法が存在していました。

曹操は、そのような故事をよく知っていたので、これをヒントに甬道を造り

補給を万全にする事で、遠征をしているという不利を解消し、

馬超や韓遂が率いる騎馬のアドバンテージを無効にしてしまったのです。

 

こちらの弱点を克服し、同時に相手の長所を封じてしまうのは兵法の理想で

潼関の戦いで曹操は、これに成功していたと言えるでしょう。


 

黄河と渭水に並走させる事で甬道の利便性を向上

黄河と渭水に並走させる事で甬道の利便性を向上

 

また、曹操が甬道を黄河、そして渭水の流れに並行しながら造ったのも

非凡なポイントだと思います。

 

近くに河があるという事は飲料水を確保できるという事ですし、

同時に騎兵の襲撃がないなら、物資を陸上から河に移して

移動距離を稼ぐという方法も取る事が出来るからです。

おそらく甬道には、部分部分に開いている部分があり、ここから、

補給物資を出したり、入れたり出来たのでしょう。

 

もちろん、そこには守備の為の部隊が配置され騎兵が出現すると

補給物資を回収し、急いで閉じるような工夫もされていたに

違いないと思います。


  

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

曹操の甬道については、馬超の騎兵の突撃を阻止した面からしか

語られる事がありませんが、この黄河と渭水に並行して造る事で、

飲料水確保と水運利用がしやすくなるようにしたという点を忘れては

いけないと思います。

それ位、曹操の非凡な兵法の才が光る戦いだったと言えると思います。

 

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