曹操は自らの観察力によっていろいろな人材を見出すことに成功しています。今回紹介する楽進も曹操の観察力によって見出された人材の一人です。曹操は己の観察力によって楽進を見出しましたが、どのような事を行って楽進を人材として見出したのでしょうか。
曹操に見出された人材達
曹操が楽進をどのように見出したのかを説明する前に曹操の人物観察力によって見出された人材達をここでサクッと紹介しましょう。曹操はいろいろな人材を見出して自分の配下へ加えていきますが、彼に見出された人材達はどのような人物が居るのでしょうか。曹操に見出された人材達の中で一番有名な人材と言えば、劉曄ではないでしょうか。
劉曄は漢王朝の王族出身の人ですが曹操にその才能を見出され、曹丕・曹叡時代の魏王朝で活躍する人物になります。他にも曹操親衛隊隊長として活躍した許褚も曹操の観察力によってその才能を見出され、配下に加わってすぐに親衛隊隊長になります。このように曹操は多くの人材を自らの観察眼によって配下に加えています。そして今回紹介する楽進も彼の観察力によって見出された人材のうちの一人です。
記録係から始まった楽進
楽進は曹操が董卓討伐戦に参加した頃に曹操の元に馳せ参じることになります。曹操は楽進を配下に加えると将軍として仲間に加えず、記録係として彼を仲間に加えるのでした。しかし曹操は記録係としての楽進に期待をあまりかけず、違う方面で彼を活用しようと考えていました。そこで曹操は楽進を試すためにある実験を行います。
楽進を試す
曹操は楽進の実力が記録係として発揮されるような人物ではなさそうだと考えます。そこで曹操は楽進へある任務言い渡しその任務の出来高によって、今後どのような事を楽進へ担当させればいいのかを決めることにします。曹操は楽進を呼んで「君には一度故郷へ帰って、兵を集めてくるように」と命令を与えるのでした。なぜ曹操は楽進に募兵をしてくるように命令をしたのか。
正史三国志には曹操が楽進へ命令を下した理由が記載されていません。そのため推測になってしまいますが、曹操は彼が人望と統率力がある人物だと考え、募兵を行わせたのではないのでしょうか。楽進に人望があり、統率力があれば故郷から曹操の陣営まで兵士を一人もかけることなく参加させることができ、今後将軍として戦場で活躍させようと考えていたと思われます。しかし楽進に人望がなければ誰ひとりとして楽進の元へ兵士が集まることはないでしょう。
また楽進に人望があっても統率力がなければ兵士を引率することはできないでしょう。曹操は楽進へ募兵を命じることによってこの二点を見極めたかったのではないのでしょうか。さて楽進は曹操の期待に応えることはできたのでしょうか。
多くの兵士を連れてくることに成功
楽進は曹操の命令に従って故郷へ帰って兵士を募兵。その結果、彼の元へ1000人の兵士達が集まります。そして楽進は1000人の兵士を誰ひとりかけることなく、曹操の元へ引き連れて到着するのでした。曹操は楽進に人望と統率力があることを再認識し、楽進へ校尉の位を与えて戦場へ出陣させるのでした。そして楽進は曹操にその才能を見出されたことによって、魏の名将としてめきめきと実力を伸ばしていくことになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
魏書には曹操が行軍中の楽進を見て、彼の才能が将軍に向いているとして彼を抜擢したそうです。この魏書の話はあながち間違えではないかもしれません。多彩な才能を持った曹操がとんでもない観察力をもち、人の才能を見出すことにかけては天才的な才能を持った人であった事を表しているのかもしれません。
参考 正史三国志魏書等
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