大人気春秋戦後時代漫画キングダム、現在の秦軍の目的は趙の軍事上の要衝である鄴を陥落させる事でした。
しかし、鄴は難攻不落の城塞都市で、王翦もお忍びで偵察するや、鄴は完璧な城で絶対に落とせないとして
難民を鄴城に吸収させる策で変則的な兵糧攻めを狙います。
今は桓騎軍が包囲している鄴ですが、一体、どんな城だったのでしょうか?
はじめての三国志では、三国時代の鄴城の見取り図を元に、鄴城がどんな城だったか具体的に解説します。
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この記事の目次
キングダム577話ネタバレ予想 斉の桓公が城塞都市として建造した鄴
鄴城の歴史は古く、斉の桓公(在位紀元前685~紀元前643年)が城塞都市を建築したのが始まりです。
その後、鄴は魏の領地となり魏の西門豹が統治して黄河や章河から運河を引く事で大いに栄える事になります。
紀元前239年に魏は鄴を趙に与え、その後紀元前236年に秦の将軍の王翦が鄴を攻略し以後は秦の領地になりました。
それから400年程が経過した三国時代になると、軍事上の要衝としての価値が高くなり、最初は袁紹、次には袁紹を滅ぼした曹操が
首都を置いて拠点にし、防御力を大いに強化しました。
その後魏晋南北朝時代には、東魏、北斉の首都になりますが、その後は隋の楊堅に焼き払われ古代の城塞都市として遺跡になっています。
キングダム577話ネタバレ予想 鄴の図面を大公開
さて、以下が曹操の時代の鄴の見取り図です。
鄴は、三国時代の曹操の時代に拡張され、東西2・4キロ、南北1・5キロ周囲は土壁の城壁で囲まれていました。
曹操の時代はキングダムの時代から400年の後ですが、鄴は元々城塞都市なので、そこには、春秋戦国時代の鄴の遺構も残っていた事でしょう。
鄴は南が章河に面しているので、攻めるなら北側という事になります。
城には7つの城門があり、内部は北部が宮殿や行政庁の建物が並び、南部は多くの住民が住んでいました。
緑の楕円で囲んだ部分は、曹操が築いた台で威容を保つためとも敵の攻撃に対して高い視点を確保する為とも言われますが、
台は三基存在し銅爵台は、南北122メートル、東西70メートル、高さは24メートルあります。
城壁の上に、こんな設備があるのですから、攻撃側は北面から攻めるのは、かなり苦戦したのではないかと考えられます。
水井台、金虎台、銅爵台には、大量の軍需物資が備蓄されていて、単純に威容を見せつける事が目的ではないという事が分かります。
鄴は同時代の洛陽などに比べると、宮殿や行政庁の部分が北部にコンパクトにまとまり城塞としての機能を最優先して
築城されたと考えていいでしょう。
キングダム577話ネタバレ予想 キングダムの鄴は三国時代の鄴がモデル
キングダムの512話にも、鄴の外観がチラッと出てきますが、門以外にも、複数の楼閣を持つ、堅牢な城として描かれています。
ただ、キングダムの時代の鄴城は残っていないので城のモデルは三国志の時代の鄴城であろうと考えられます。
そうであるとすれば、今後、展開次第では、鄴に銅爵台、金虎台、水井台が登場し秦軍に容赦なく、矢の雨を降らすという事もあるかも知れません。
その時には、400年の時を越えた三国志とキングダムのコラボが実現しますね。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
紀元前236年に王翦は鄴城を攻略していますが、一体どうやって落としたか史記には記録がありません。
ただ、普通に攻めても攻略できず、軍を再編して精鋭に作り変えてから、再度攻略して、ようやく攻略したと記録されています。
兵糧攻めだと、秦兵の方が先に参ってしまうので鄴城が自発的に開く事はなさそうです。
となると秦と趙の攻城戦が繰り広げられる事になりますが、一体どうなるでしょうか?
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