司馬炎の息子は一体何人いたの?

2018年11月4日


 

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司馬炎

 

三国時代を終わらせた司馬昭(しばしょう)の息子・司馬炎(しばえん)。司馬炎は三国時代を終わらせ中国に新しい統一国家・(しん)を誕生させ、初代皇帝として君臨(くんりん)することになります。晋の初代皇帝司馬炎ですが、息子達は一体何人いたのでしょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬炎の息子たちは一体何人いたの?

読み書きのできない司馬倫

 

 

晋の初代皇帝・司馬炎ですが息子たちはいったい何人いたのでしょうか。史実に残っているだけでも25人程存在していました。この司馬炎の息子達ですがほとんどがポンコツと言っていい人物ばかりで、司馬炎がせっかく統一国家を作り上げたにも関わらず彼の死後、兄弟達で争って中国を分裂させる原因を作り出してしまうのです。この原因を作り出したきっかけは司馬炎の跡を継いだ皇帝に原因がありました。

 

 

 



司馬炎の息子の中で一番のポンコツ息子・司馬衷

司馬炎の息子の中で一番のポンコツ息子・司馬衷

 

司馬炎は二代目の皇帝に司馬衷(しばり)を選びます。彼は司馬炎の息子の次男でとんでもなくポンコツでした。司馬衷がとんでもないポンコツっぷりを示す逸話が残っています。司馬衷は晋の国家が飢饉(ききん)が原因で民衆たちが飢えてご飯が食べれない時期がありました。

 

この時司馬衷は「民衆は食べるものがなければ肉粥(にくがゆ)を食べればいいのにどうして食べないんだろうね」と側近へ語っていたそうです。西洋のある貴婦人が発した「パンがなければケーキを食べればいいんじゃないかしら」発言を思い出すとんでもないポンコツ発言と言えるでしょう。

 

 

このポンコツ・司馬衷が皇帝になったため、晋の国は大きく乱れることになり、晋の国は内戦状態になっていくことになり、司馬炎の息子の中でもとてつもなくポンコツな息子と言えるのではないのでしょうか。司馬炎の次男・司馬衷は超がつくほどのポンコツでしたが、ほかの息子達も全てポンコツだったのでしょうか。

 

 

袁術祭り

 

 

 

晋の三代目皇帝・司馬熾はそれなりに優秀だったけど…

司馬師

 

晋の二代目皇帝・司馬衷はとんでもなくポンコツで、国を乱した原因を作り出して亡くなってしまいます。その後司馬衷の跡を継いだのが司馬熾(しばし)です。彼の評価は司馬衷と正反対で学問を行い、皇帝となった後も学問を続けていたそうです。

 

更に皇帝となって政治を行う際、家臣の意見を聞いてしっかりと政治を行ったそうです。

 

荀彧(じゅんいく)の玄孫として晋の時代に活躍した荀崧(じゅんすう)は司馬熾を上記のように評価していました。しかしこのように優秀な皇帝・司馬熾が登場しても晋の国家は既に手遅れで、衰弱した国家を立て直すことができず、劉淵(りゅうえん)率いる異民族の軍勢の攻撃を防ぎきることができませんでした。その結果、司馬熾は捕虜になった後亡くなってしまうのでした。「司馬熾がもし平和な時代の国家を統治することができれば、優れた君主となっただろう」と荀崧が言葉をこぼしたそうです。

 

晋の滅亡をもう少し詳しく知りたい人向け↓

【五胡十六国】ねぇ?三国志の後ってどうなるの?アフター三国志を紹介

 

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は司馬炎の二人の息子を紹介しました。司馬炎の息子の中には司馬衷や彼よりもマシですがやはりポンコツばかりの息子が多くいます。司馬炎の息子達は25人程いるのでその中でほとんどがポンコツだけではありませんでした。

 

例えば上記で紹介した司馬熾は司馬炎の息子達の中でも優秀な人物の一人と言えるでしょう。他にも司馬炎が一番息子達の中で可愛がった司馬柬(しばかん)という人物がいます。この司馬柬は優秀だったという実績を作る前に亡くなってしまいます。人々は司馬柬が亡くなった時に彼の死を大いに嘆いたと記されていることから人望のある人物で、学問などにも優秀な人材であったのかもしれません。

 

前漢王朝や後漢王朝も初代皇帝の息子達はポンコツが多くいましたがやはりひとかどの人物は幾人かはいました。その伝統を受け継いでいるとは思えませんがポンコツが目立つ司馬炎の息子達ですけど一概にポンコツばかりだとは断言できないのが歴史の面白いところなのではないのでしょうか。

 

参考 三国志武将辞典

 

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八王の乱

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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