弱きを助け強きを挫く!異民族をも信服させた黄蓋の魅力とは

2018年12月30日


 

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戦場で尊敬される黄忠

 

皆さんは老将軍と言うと誰を思い浮かべるでしょうか?

三国志』で最も有名な老将軍といえばやはり蜀の五虎大将軍の一人・黄忠(こうちゅう)のことを思い浮かべる人が多いでしょう。

 

黄蓋

 

しかし、忘れてはいけない老将軍がもう一人。長きにわたって呉に仕えた黄蓋(こうがい)です。『三国志演義』に登場する頃には既におじいちゃんになっている黄蓋ですが、彼は若い頃から素晴らしい力を持っていた将軍でした。今回は、そんな黄蓋の魅力をたっぷりご紹介したいと思います。
 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫堅から孫権まで三代にわたって仕える

呉の孫堅

 

黄蓋は若い頃に父を亡くし、貧しい暮らしをしていました。しかし、黄蓋はそんな生活に絶望することなく、常に大きな志を持ち続けた青年でした。勉強熱心な黄蓋は文章の書き方から兵法まで熱心に勉強し、漢王朝のトップである三公から中央に招かれるまでになりました。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

しかし、その頃既に漢王朝は斜陽で、あらゆる反乱が起こって国内は滅茶苦茶な状態。中央に赴いたところで朝廷をほしいままに操る輩たちに仕えなければならないわけですから、黄蓋は迷っていました。そんな黄蓋の前に颯爽と現れたのがあの孫堅(そんけん)だったのです。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

孫堅のカリスマ性に惹かれた黄蓋は孫堅に付き従い、董卓(とうたく)討伐で大活躍。孫堅の死後も孫策(そんさく)に仕え、江東制覇に精を出しました。孫策が早逝してしまった後はまだ臣下たちからの信頼の浅い孫権(そんけん)を主君として仰ぎ臣下の礼を尽くしました。

 

 

異民族をも信服させた魅力的な人となり

異民族をも信服させた魅力的な人となり

 

孫策と共に江東制覇に臨んだ際は、甲冑を身にまとい、剣をふるって暴れまわった黄蓋ですが、制圧した地での政治は苛烈なものではありませんでした。むしろ、黄蓋は「弱きを助け強きを挫く」の精神で統治を行い、法令こそ厳しくしてはいたものの人々に対しては慈愛の心を持って接していました。そんな黄蓋が統治した地では、江東制覇の際に孫策軍を手こずらせた異民族・山越族まで黄蓋を慕い、穏やかに暮らすようになったといいます。黄蓋の慈愛に満ちた心は異民族の心まで溶かしたのですね。
 

 

「苦肉の策」で曹操を騙す

むち打ちで裁かれる黄蓋

 

孫呉の礎を築き上げるのに大きな功績を残した黄蓋ですが、孫権に仕えていた頃の活躍の方が有名でしょう。黄蓋が活躍したのは『三国志』ファンなら誰もが知るあの大戦・赤壁の戦いでのこと。赤壁の戦いの口火を切るのに一役買った人こそが黄蓋でした。

三国時代の船 楼船

正史では、曹操の大船団を攻めあぐねていた周瑜に火攻めをすることを進言し、黄蓋自ら偽りの投降をすることを持ちかけています。命がけのこの作戦を思いつき、そしてやってのけた黄蓋の肝の据わりっぷりには驚かされますね。

 

ちなみに、『三国志演義』では先に魏からスパイとして潜り込んでいた蔡和(さいわ)蔡仲(さいちゅう)の眼前でわざと周瑜(しゅうゆ)からの棒叩きの刑を受けから投降。そのため、疑り深い曹操もあっさり黄蓋の投降を信じ、このことによって魏軍は辛酸を嘗めさせられることになったのでした。

 

『三国志演義』のこの黄蓋の芝居は苦肉の策の語源になっていますね。

 

 

便所に放置されたという可哀想なエピソードも

 

赤壁の戦いで華々しい活躍を見せた黄蓋。しかし、同じく赤壁の戦いで黄蓋は絶体絶命のピンチに陥ります。曹操軍の船に火をつけ、曹操軍を阿鼻叫喚の火炎地獄に陥れたものの、黄蓋は流れ矢に当たって長江に落ちてしまいました。

 

黄蓋、赤壁の戦いでうっかり河ポチャ

 

すぐに引き上げてもらえたものの、黄蓋であると気づいてもらえずその辺の雑兵だと思われた彼は、便所に放置プレイされてしまいます。赤壁の戦いは冬の出来事でしたから、濡れネズミ状態のまま放置された黄蓋の体は冷え切ってガクガクブルブルと震えていたことでしょう…。

韓当(かんとう)

 

傷の痛みと寒さに震えていたところ、「あれ?黄蓋…?」とその存在に気付いてくれたのは同僚の韓当でした。韓当が気づいてくれなかったら赤壁の戦いでの功が報いられることもなく、黄蓋は野垂れ死にしてしまっていたかもしれませんね。

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

赤壁の戦いの後もかつてのように異民族の鎮圧に精を出した黄蓋はやはりその人となりによって異民族の心を掴んでいきました。そんな彼が亡くなったときには漢民族・異民族を問わず呉国内の誰もがその死を悼んだと言います。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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