姜維はどうして鍾会を同志に選んだの?

2019年1月18日


 

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蜀の姜維

 

蜀の大将軍として蜀の後期に活躍した姜維(きょうい)。蜀討伐戦の総大将として蜀軍を滅亡させた鍾会(しょうかい)。この二人は後に魏に対して反乱を起こしますが、失敗に終わってしまいます。姜維はどうして鐘会を反乱を計画する相棒として選んだのでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姜維が鐘会と一緒に反乱した理由とは?

鍾会を説得する姜維

 

そもそもどうして姜維は鍾会と一緒に反乱を起こしたのでしょうか。それは姜維が鐘会と一緒に反乱を起こし、魏から独立を果たした後、鍾会を殺害して蜀を再興しようとする計画があったからです

 

この計画に基づいて姜維は反乱をともに行う同士として鍾会を選んだのです。ですがどうして姜維は蜀の将軍ではなく、鐘会を反乱を行う同士として選んだのでしょうか。

 

 

 

姜維が鐘会を選んだ理由その1「鐘会が優遇してくれたから」

 

姜維は蜀の皇帝劉禅(りゅうぜん)が降伏したため、彼も致し方なく魏へ降伏することします。姜維は率いていた兵士達へ武器を捨ておとなしくするように命令を伝えた後、自らの鎧を脱いで魏軍の総大将である鐘会の元へ出向いて降伏します。

 

鐘会は姜維が降伏して来ると彼を手厚く優遇。鐘会がどの程度姜維を優遇していたのかをあらわすエピソードが残っています。

 

鐘会は姜維がもっていた印璽などすべて返還し、自分が巡回へ出かける時には姜維を自らの車に乗せて一緒に巡回していたそうです。また鐘会は部下へ「姜維は中原の存在している名士たちとは比較にならないくらい優秀な人物であるな」と褒め称えていたそうです。

 

このように鐘会は姜維をかなり優遇していました。姜維はこれほどまでに優遇してくれる鐘会を利用しやすいと考え鐘会を魏へ反乱を起こすための相棒として選んだのかもしれません。しかしそれだけで姜維は鐘会を反乱する同士として選んだわけではありません。

 

 

姜維が鍾会を選んだ理由その2「反乱する意図を見抜いた!!」

野望が膨らむ鍾会

 

姜維は魏へ降伏した後、鍾会と会見する機会を得ます。この時姜維は鐘会が必ず魏に反乱を企てることになると直感で感じます

 

そして姜維は鍾会へ「あなたは蜀を平定し、功績においては魏の中で最高位の功績を残しています。また民衆は大いにあなたの功績を褒め称えているそうです。これほどまでに功績を挙げたあなたを魏の君主が許しているでしょうか。前漢の韓信(かんしん)は功績を挙げすぎて後に劉邦(りゅうほう)に殺害されてしまいますが、どうして韓信が殺害されることになったのか。

 

それは功績を挙げすぎたにもかかわらず、劉邦に忠誠を尽くしてきたからです。あなたの功績はとんでもないほど大きくこのままでは平和になった時代に殺害されてしまうかもしれません。そうなってから嘆いても誰も味方してくれません。そこで今から官職を投げ出して引退するほうがあなたの安全のためですよ」とアドバイスを行います。

 

鐘会は姜維のアドバイスを聞いて「それはできない。それ以外にの方法もあるだろう」と尋ねます。すると姜維は「それならばあなたの才能を持ってすれば簡単に行うことができるでしょう」と述べます。

 

姜維はこの会見後、鐘会が必ず反乱を企てるはずだと確信を持つことになり鐘会と仲良くなり始めるのです。姜維は主にこの二つの理由から鐘会と手を組んで反乱を起こしたのではないのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

上記の理由から姜維は鐘会を利用して蜀再興の作戦を進めていきます。しかし結果は初めに書いたとおり、失敗に終わってしまいます。

 

姜維が鐘会が魏へ反乱を起こす覚悟を決めた時、蜀の将軍達や兵士達を自分の手元に集めておくようにしてれば状況はかなり違った物になったかもしれません。また反乱を起こす期日をあらかじめ蜀の将軍達へ連絡して、兵士を集めてもらい、反乱を起こした時にすぐさま行動を起こすようにしていれば姜維の秘策も成功する確率が上がったかもしれません。

 

私達は史実を知っているので後から色々といえますが、どうして姜維がこれらのことを思いつかなかったのか不思議でなりません。

 

参考 【正史三国志蜀書】など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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