馬謖と姜維は諸葛亮の愛弟子? 2人の能力や評価を比較してみた

2022年8月11日


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馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

馬謖(ばしょく)姜維(きょうい)は、よく諸葛亮(しょかつりょう)の弟子として語られます。実際に弟子であったという記述はありませんが、いずれも諸葛亮から評価をされていた人物であり、諸葛亮がいなければ厚遇される可能性はなかったかもしれません。

 

馬謖

 

ただ、どちらもやらかした人物として有名なので、実際に能力や評価が一致していたのかを列挙しつつ、二人を比較してみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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馬謖と姜維の出自

馬良と馬謖兄弟

 

馬謖は荊州襄陽(けいしゅうじょうよう)の出身で、5人兄弟の末っ子です。馬氏一族は優秀ということで知られ、中でも馬謖の兄である馬良(ばりょう)が最も優れていると言われていました。

 

馬良

 

そんな馬良と馬謖は劉備(りゅうび)が荊州を統治した際に従事に任命されています。

 

姜維、孔明

 

姜維は天水郡冀県(てんすいぐんきけん)の出身で、天水の豪族であった羌氏の一族です。父である姜冏(きょうけい)は馬超が羌族を率いて冀城を攻めた際に戦死していて、姜維は父の功績によって魏の中郎に任じられます。

 

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諸葛亮との関わり

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馬謖は当初、劉備に従って入蜀を果たし、それから成都と綿竹の県令、越嶲郡(えつすいぐん)の太守となりました。そして諸葛亮に才能を見いだされ、たびたび軍略についても話し合うようになります。

 

孔明君のジャングル探検

 

襄陽記(じょうようき)によれば諸葛亮は南征に際して馬謖にアドバイスを求め、その言葉に従って南蛮の民を服従させました。こうした信頼もあってか、諸葛亮は第一次北伐の際に周囲の反対を押し切って馬謖に先鋒(せんぽう)という大役を与えます。

 

水路を断たれ残念がる馬謖

 

しかし、馬謖は暴走して張郃(ちょうこう)に破られてしまい、その責任をとって諸葛亮に処罰されました。

 

孔明と姜維

 

姜維はというと天水太守の馬遵に従って巡察に出かけた際に諸葛亮が第一次北伐を行い、各県が降伏をします。その報告で疑心暗鬼になった馬遵(ばじゅん)は姜維ら部下を置いて逃亡し、姜維も冀城の門が閉ざされていて、帰還ができなかったために蜀漢に帰順するしかありませんでした。

 

孔明と姜維

 

その後、姜維は諸葛亮によって才能を見いだされ、官職を与えられて重用されるようになっていきます。

 

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諸葛亮の両者に対する評価

馬謖に重要な仕事を任せるなと孔明に伝えて臨終を迎える劉備

 

劉備は馬謖を口先だけで中身が伴わないと低く評価していましたが、諸葛亮は馬謖の才能を高く評価していました。そのため、諸葛亮と馬謖は南征の戦略について長きに渡って相談しあっていたようですし、馬謖の語った心を攻めるという方法を取り入れて、しっかりと成果を残しています。

 

蔣琬(しょうえん)・蒋琬

 

姜維に関しては帰順を後に、諸葛亮が張裔(ちょうえい)蔣琬(しょうえん)に対して手紙を送り、「与えられた仕事を忠実に勤め上げ、思慮は精密、その才能は馬良や李劭(りしょう)以上、涼州(りょうしゅう)の上士である」と評価していました。

 

進軍する兵士c(モブ用)

 

他にも「用兵にも秀でている上に胆力もあり、兵の気持ちを汲み取ることができる」と主に軍面の才能を高く買っていたようです。

 

棗祇(そうし)食料・兵糧担当

 

そのため、姜維には倉曹掾(そうそうえん)という食料庫を管理する役職を与え、さらに奉義将軍(ほうぎしょうぐん)の官位と当陽亭侯の爵位を与えられていますし、劉禅(りゅうぜん)にもお目通りをさせたいと言わせるほど高い評価を受けていました。

 

姜維と孔明

 

評価だけを見ると、馬謖とは話が合う間柄であり、自らも教えを請いたいという少し特殊な間柄であったように思えます。姜維はこれからの成長が楽しみであり、色々な仕事を任せていきたいという意欲のようなものを感じますが、馬謖のような親しみはなかったようです。

 

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馬謖

 

 

馬謖と姜維の実像

敵に囲まれる馬謖

 

馬謖は劉備が評価をしたように、いざ諸葛亮が第一次北伐の先鋒にすると張郃に破られています。この結果だけを見ると、劉備の言ったように馬謖は口先だけと見受けられますが、実戦で成果を発揮できるタイプではなかったのかもしれません。

 

魏宿命のライバル?姜維と鄧艾04 孔明

 

むしろ、実行は諸葛亮などに任せて、戦略面などを考える裏方ポジションの方が合っていたようにも見受けられます。

 

姜維と鄧艾

 

姜維については鄧艾(とうがい)との戦績は悪かったものの、北伐では何度か勝利を収めていますし、魏が益州(えきしゅう)へ侵攻してきた際も鍾会(しょうかい)の軍を剣閣(けんかく)で足止めしています。

 

姜維

 

そのため、諸葛亮の評価にあった用兵が巧みという点は間違いないでしょう。ただ、北伐を連年繰り返したことは思慮がある行為とは思えませんし、兵の気持ちを汲み取っているとも思えません

 

北伐したくてたまらない姜維

 

。なので、姜維は真面目ではあったものの融通が効かない頑固な人物だったと考えられます。

 

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トウ艾

 

 

三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

諸葛亮が臨終に際して、後継者を指名した際に、蔣琬と費禕(ひい)の名前は挙がっていますが、姜維の名前は出ませんでした。諸葛亮は姜維を優秀であると判断しながらも国を任せられるほどの器量がないことを見抜いていたのかもしれません。

 

馬謖の山登りに反対する王平

 

馬謖に関しては完全に起用ミスだったと思いますが、必ずしも劉備の評価が正しいとも言えないように思います。弁が立つという点では外交官を務めさせるなどすれば、十分に結果を出した可能性があります。

 

馬謖を斬り悲しむ孔明

 

個人的には諸葛亮は馬謖が好みであったように思うので、大きな失敗をしなければ後継者の一人として名前が挙がっていたのかもしれません。みなさんはこの二人をどう評価しますか?

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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