軍師・司馬懿と女策士・王異を比較!軍配はどちらに!?

2019年3月27日


 

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司馬懿

 

()の軍師と名高い”司馬懿(しばい)”。少しでも三国志をかじった読者なら耳にしたことがあるでしょう。

一方の”王異(おうい)”は趙英(ちょうえい)の母。

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

長安(ちょうあん)に近い冀城(きじょう)蜀漢(しょくかん)馬超(ばちょう)と戦っています。司馬懿(しばい)ほど知名度はありませんが、王異(おうい)も戦略に長けた人物でした。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ひねくれものの司馬懿

司馬懿と曹操

 

司馬懿は曹操(そうそう)を皮切りに曹芳(そうほう)までの四代に渡って曹家(そんけ)に軍師として仕えました。

 

司馬懿

 

曹操が亡くなった後も魏の国を支えたわけですから、ある意味では曹操よりも優雅な暮らしを送ったのかもしれません。初め、司馬懿は曹操が家来になるよう言い渡しても応じず、病気を理由に断っていました。

 

いわゆる仮病です。

 

司馬懿を欲しがってた曹操

 

漢王朝(かんおうちょう)からの求めに対し、仮病で辞退するのは、よほど勇気があることのように感じます。しかし、戦乱の前漢(ぜんかん)から三国鼎立の時代において病気を理由にすることは生き延びるための知恵でした。

 

司馬懿

 

当時の前漢は傾きかけており、出仕しても”未来”はないと司馬懿は感じとったのです。世が乱れていますから、病気では使い物にならないと思わせるのも手段の一つでした。

 

 

 

王異の生きる知恵

王異

 

王異は息子を殺した”梁双(りょうそう)”に辱めを受けそうになった際、自害を考えました。しかし、幼い娘の趙英(ちょうえい)の姿を目にすると死ぬことはできませんでした。

そして、ボロに着替え、食事を摂らずにやせ細った姿にわざと変装したのです。

 

梁双は衣服に糞が塗りたぐられているのを見て、手を止めると王異は考えました。やがて和睦が成り、捕らわれの身であった王異は夫の元へ帰ります。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの

 

 

司馬懿、全権を握る

司馬懿

 

三国鼎立が安定してくると司馬懿は魏の国を影で支えます。特に曹丕(そうひ)とは相性が良く、統治(とうち)も順調でした。

 

司馬懿

 

曹魏が瓦解を始めたのは曹爽(そうそう)の時代。司馬懿はこの時、”兵権”を持っていました。兵権とは国の軍事を司ることができる強大な権利で大軍を自由に動かすことができます。自衛隊の統合幕僚長に近い存在です。

 

曹爽

 

一方の曹爽は内政を扱うのみ。軍事に口出しはできなかったのです。

 

司馬懿

 

ここで勘のいい読者なら察しがつくと思いますが、兵権を握るということはクーデターを可能にすることを意味します。案の定、司馬懿は曹爽が洛陽(らくよう)を留守にしたのを好機と見て、軍事クーデターを起こします。

 

司馬懿

 

軍師が行う謀反ですから、政敵を追いやるための証拠をわんさか用意します。そして、自らのクーデターを正当化させるのです。

   

 

王異の速戦即決

馬超の仲間入り

 

馬超(ばちょう)冀城(きじょう )を攻められたおり、籠城戦を選んだ王異と夫の趙昂は食糧危機に陥っていました。予想以上に馬超が手強かったのでしょう。

見るに見かねた韋康(いこう
)
は和議を提案します。これを夫から打ち明けられた王異。馬超の魏に対する恨みつらみが強いことから降伏に反対します。

仲直りしたと見せかけて、馬超はまっさきに相手を殺すと思ったのです。

 

そして、韋康は和議を結ぶのですが、まもなく馬超に殺害されてしまいます。

三国時代にスマホがあったら、すんでのところで和議を止められたかもしれません。

それぐらい”情報”というのは戦時において重要なのです。

 

現代の日本で災害時にデマが飛び交うのと似た状況です。緊急時に冷静な判断ができる人は少ないのです。もし、王異が東京都知事だったら、もっと早くに豊洲へ魚市場を移転していたかもしれません。

 

前線の王異、指令部の司馬懿

司馬懿

 

王異が前線での判断に長けた策士なら、司馬懿は指令部での策士です。それは司馬懿がのちに魏の大権を握ったことからも推し量れます。

アメリカ合衆国で例えるなら、”CIA”のようなものです。王異は映画「ミッションインポッシブル」の女性版イーサン・ハントといった位置付けでしょう。

 

やはり庶民としてワクワクするのは王異です。影で夫を支え、戦に勝利を導く女神こそ真の策士ではないでしょうか。

 

三国志ライター 上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

一般市民の目線で今回は王異(おうい)に軍配が上がりました。

もちろん正解はありません。

 

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

すべての読者にオリジナリティ溢れる意見があるはずです。

いずれにしろ両者が手練手管を駆使して三国時代を生き延びたのは事実です。

 

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民間伝承の三国志

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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