徐盛の意見に陸遜はどうして賛成しなかったの?劉備を討ち取らなかった理由

2019年3月26日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

陸遜

 

陸遜(りくそん)夷陵の戦い(いりょうのたたたかい)の時、呉軍の総大将として出陣し、徐盛(じょせい)ら諸将を指揮下に入れて劉備(りゅうび)軍と戦い、劉備軍を完膚なきまで叩き伏せます。

 

陸遜は劉備軍から奪われた領土を回復した後、劉備軍に追撃をすることなく撤退しますが、徐盛や潘璋(はんしょう)ら孫呉の将軍たちは「劉備討ち取るべし」と孫権(そんけん)へ進言していました。

 

しかし史実では孫権が陸遜の意見を採用し、徐盛達の意見を採用しませんでした。

 

どうして陸遜は徐盛達の意見に賛成しなかったのでしょうか。

 

関連記事:石兵八陣(八卦陣)は実在した?陸遜が夷陵の戦いで破れなかった八卦陣

関連記事:【新事実】夷陵の敗戦は荊州出身者への忖度の結果だった!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



劉備を討ち取るべし

 

 

陸遜率いる孫呉の軍勢は夷陵の戦いで劉備軍を完膚なきまで叩くことに成功し、劉備軍に奪われた領土を回復。

 

劉備は孫呉の軍勢に大敗北したため、白帝城(はくていじょう)へ撤退していきます。陸遜は白帝城へ逃亡した劉備を攻撃することなく孫呉軍の軍事行動を停止。陸遜の行動に不満を感じた徐盛や潘璋ら孫呉の将軍たちは、孫権へ手紙を送ります。

 

徐盛達は孫権へ「劉備は我らの攻撃でボコボコにされ、白帝城に撤退しています。ここでもう一度、白帝城に逃亡した劉備へ攻撃を仕掛ければ劉備を討ち取ることもできるでしょう。劉備攻撃の許可を許してくれないでしょうか」と孫権へ進言。

 

孫権は徐盛達からの手紙を見て、劉備が逃げた白帝城へ攻撃をするべきかどうか迷い、陸遜へ手紙を送るのでした。

 

 

 

孫権からの手紙

呉の孫権は皇帝

 

孫権は陸遜へ「徐盛達が白帝城へ逃げた劉備に攻撃を仕掛ければ、劉備を討ち取ることができるとしきりに進言して来ている。君は白帝城へ逃げた劉備を攻撃するべきだと思うかい。」と手紙を送ります。

 

孫権は陸遜から送られてきた手紙を見て、白帝城へ攻撃を仕掛けることをやめて軍勢を撤退していきます。陸遜の手紙にはどのような内容が書いてあったのでしょうか。

 

夷陵の戦い

 

 

魏の大軍が迫ってきているから撤退すべし!!

魏の旗をバックに戦争をする郭淮は魏の将軍

 

陸遜は孫権から手紙をもらうとすぐに返書を書きます。陸遜は孫権へ「劉備を夷陵で完膚なきまでボコボコにすることに成功し、劉備は白帝城へ撤退しています。

 

徐盛達は劉備を討ち取るべしと進言していますが、私は白帝城へ攻撃するべきではないと考えています。その理由ですが、魏が大軍を率いて孫呉の国境へ迫ってきているとの情報を最近得ているからです。

 

もし我らが白帝城へ攻撃を仕掛けているところに魏の大軍が我らの国へ攻撃を仕掛けてくれば、魏の大軍を迎撃することができずに国家の危機になるでしょう。

 

これらの事を考えた場合、白帝城攻撃を行うべきではなく、すぐに撤退して魏の大軍を迎え撃つ準備をするべきだと思うのですが」とアドバイスを書いた手紙を送ります。孫権は陸遜から送られてきた手紙を見て、すぐに軍勢を撤退するように陸遜へ命令。

 

こうして徐盛らの進言は退けられることになったのです。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

もし徐盛らの進言を孫権が採用した場合どのようなことになったのでしょうか。ここからは推測になります。

 

劉備を討ち取ることができるかどうかわかりませんが、孫呉の軍勢が白帝城へ攻撃を仕掛けて城を陥落させることはできたと思われます。そして蜀では白帝城陥落によって、史実で劉備死後に起きた蜀の南部の反乱が、もっと早く反乱が発生することになったでしょう。

 

そして蜀の国内は蜀南部の反乱によってボロボロになっていたと思われます。また孫呉は白帝城陥落によって領土を拡張することに成功しますが、孫呉は魏に再度臣従するか、孫呉の領土が大幅に削られることになるでしょう。その理由としては陸遜の手紙にもありましたが、魏の大軍が孫呉の領土へ大軍で攻撃を仕掛けてきていたためです。

 

上記はレンの予測になりますが、皆様は徐盛の進言を陸遜が同意した場合どのようになるとお考えになりますか。

 

■参考文献 正史三国志呉書など

 

関連記事:夷陵の戦いを回避しようとしていた?孔明に比べて目立たない外交人・諸葛瑾の苦労

関連記事:甘寧を討ち取った沙摩柯とは?夷陵の戦いで突如として現れた胡王

 

濡須口の戦い特集バナー

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-三国志の雑学
-,