樊城の戦いといえば関羽が敗北し、歴史から姿を消す戦い。関羽のファンの皆さんは見ているだけで辛いかもしれません。
そんな関羽ファンであれば許せないと言われるのが関羽を裏切ったことで有名な糜芳と傅士仁。今回はこの二人がどうして裏切ったのか、その裏切りにあった背景をお話しましょう。
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関羽は果敢に樊城を責め、于禁を降伏させる
関羽は最初こそ破竹の勢いで勝ち進み、樊城を包囲します。この樊城を守っていた曹仁の軍は5千前後と言われていますが、正確な数は分かっていません。
樊城の戦いの正確な数は、関羽軍も義軍も正確な数が判明していないんですよね。なのでこのくらいの数、と良く言われている数で明記していますので、参考程度にして下さい。
関羽の軍は多くは3万ほどと言われていますが、この数でも樊城は包囲に留まります。そこに魏の于禁が3万の兵力を率いて援軍に来ますが、これが水害によって壊滅、関羽に降伏します。
援軍が全滅してなお、それでも樊城は曹仁が守り続けているので、関羽はここから包囲からの兵糧攻めを選択。洪水によって食事もままならない、頼みの援軍も全滅した中、樊城の曹仁がいつまで持つか…そう誰もが思ったことでしょう。
その後も樊城を包囲して戦うが…
さて、状況は殆ど関羽にありましたが、ここで関羽にとってまずいことが置きます。食料です。
関羽軍は3万、そこに于禁軍の3万を降伏させたので食料の消費量は単純計算でも倍になりますよね。そこで関羽は後方の死守と補給を任せていた糜芳、傅士仁に「補給を速攻増やすように」と言いつけますが、そんな簡単に倍の補給をしろと言われても無理です。
一応この辺りは「糜芳は全力で支援していなかった」とありますが、いくら全力を出しても無理なものは無理であると思います。しかしこの件に関して関羽は非常に怒っていたようで、帰ったら処罰、と言っています。
さてここで補給が満足に受けられなくなった関羽はどうしたのか?それは三国志正史・呂蒙伝にこのようにあります。
「関羽は蜀と呉の国境で、食料不足を理由に略奪を行った」と…ええ、この時点ではまだ同盟軍であるはずの呉から略奪行為、これはもう呉から見たらあっちが先に裏切ったんじゃないか!と言いたくなりますが、略奪によってとりあえず何とかなりました。
于禁軍の援軍を打ち破ってから翌月、魏からの援軍十万が再度来るまでは。
転げるように落ちていった先の、裏切り
関羽の軍は3万、対して魏の援軍は10万。しかも率いてきたのは名将・徐晃。そして関羽は樊城の方位だけでなく、于禁の軍の見張りや于禁と戦って落とした樊城の北部にある偃城にも兵を置いていました。良く言えば備えてある、悪く言えば兵が分散しています。
関羽は退却、後方の江陵に向かいますが…そこを守っていた糜芳、傅士仁は既に呉に降伏し、味方はおらず。関羽の横暴な態度に常日頃から怯えていた糜方たちは呉によって懐柔されてしまっていたのです。
退却先に味方はおらず、周囲は敵だらけ。関羽ならずとも絶望的な状況ではありますが、関羽はそれでも撤退をしますがそれを呉が許すことはなく。
220年1月、関羽は呉によって打ち取られます。
この関羽の死は蜀にとって、そしてその後を考えれば呉にも響く影響があったのは皆さんもご存知ですね。
そして関羽を裏切り呉に下った糜芳、傅士仁ですが、呉に下って重用されることもなく、その裏切りを長くいびられることになったのは自業自得とは言え少し可哀そうにも思います。そしてその裏切りは、ある人物にも繋がっていきます。
糜芳の兄、麋竺の憤死…
糜芳には兄、麋竺がいました。麋竺は相当な金持ちであり、多くの部下も持っている人物でした。
劉備はかつて呂布に留守にしていた城を奪われてしまいましたが、この時、麋竺は妹を劉備に嫁がせただけでなく、代々引き継いできた財産を殆ど劉備に与えました。劉備が復帰できたのは麋竺の力が大きかったのです。
このことから麋竺はたいそう重用され、この樊城の戦いの前では諸葛亮よりも上の立場にありました。
しかし麋竺の元に届いたのは弟の裏切り。劉備は麋竺を責めるようなことはありませんでしたが、麋竺は弟の行動を恥じ、一年も持たず憤死。一体糜芳はどのような気持ちで、呉で兄の訃報を聞いたのか。
それは今となっては誰にも分かりません。
三国志ライター センの独り言
もの悲しい締め方をしてしまいましたが、樊城の戦いで関羽を裏切った糜芳、とその家族の最期でした。
そして傅士仁に関してはこの裏切り以降記載がないので、やはり糜芳と同じような扱いを受けていたのではないかと思います。
こう見ていくと裏切るには相応の理由があり、その報いもまた受けているとも言えます。ただ裏切り者、とだけ見ることなく、その背後に何があったのかも三国志を見る楽しさと思って他の人たちも見てみて下さいね。
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