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下邳の戦いで夏侯惇は目玉を食べていない?猛将のイメージを付け加えた理由

2019年6月16日


 

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呂布を水攻めする曹操

 

 

呂布(りょふ)曹操(そうそう)の戦いである下邳(かひ)の戦い、その激しい戦いは三国志演義(さんごくしえんぎ)で描かれています。

 

目玉を食べる夏侯惇

 

そしてその最中、曹操の配下であった夏候惇(かこうとん)は目を負傷、矢に射られた目を食べてしまうという豪胆っぷりを見せつけます……が、このシーンは実は演義の創作で、正史ではあくまで目を負傷としか書かれていません。

 

夏侯惇

 

どうしてこんなシーンが描かれたのか?

今回はちょっと趣向を変えて、夏候惇(かこうとん)に猛将のイメージが付け加えられた理由を考察していってみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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下邳の戦いで目を負傷した夏候惇

曹操から水攻めを受ける呂布

 

さて少しおさらいをしていきましょう。曹操は下邳で呂布と戦います。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

実際に下邳で夏候惇が目を負傷したかどうかは明確ではないものの、夏候惇が目を負傷したのは「呂布との戦いの中」と書かれているので、下ヒの戦いで目を負傷した、と考えられているのが多いです。

 

夏侯惇と呂布

 

さてここで夏候惇が目を負傷したまでは正史と同じ、しかしその後で目玉を食べてしまうというシーンを書いたのは演義の方です。このイメージが強いために夏候惇は猛将、武将のイメージが強いという人も多いのではないでしょうか?そして次に、夏候惇の三国志演義での扱いについて見ていきたいと思います。

 

 

 

夏候惇の扱いは三国志演義でもかなり良い方?

魏みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

夏侯惇が猛将のイメージが強いのは演義のイメージが強いことが原因と思われます。

 

関羽と周倉

 

三国志演義では目を食べたシーン、関羽との一騎打ちなどのシーンが描かれています。因みに正史でも師を馬鹿にした人物を切り殺した逸話があるので、気性の激しい面は確かにあったのでしょう。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

さて演義は良く蜀びいきの魏の印象下げ、と言われます。別に敗北していない武将が蜀の武将にやられるシーンはある意味で演義の定番とも言えます。

 

孔明

 

その演義の被害者の人たちが多い中、夏候惇もまた諸葛亮(しょかつりょう)を侮って敗北するシーンがあります。しかしその後、夏候惇は自らを配下に縄で縛らせてから曹操に謁見します。これは自らの敗北の罪を乞うシーンで、夏候惇は敗北しながらもその罪を償う意思がある、好人物とも言えるような描写、つまり言ってしまえばフォローシーンです。

 

羅貫中

 

このような描き方をされている魏の武将はあまりいません。

 

羅貫中と関羽

 

なのでおそらく、作者、羅貫中(らかんちゅう)を始めとした人物たちは蜀びいきでありながら夏候惇に対してかなり好感を抱いていたのではないか、と想像できるのではないでしょうか。

 

 

夏侯惇という将のイメージと実際の存在

曹操と夏侯惇

 

さて猛将のイメージが強い夏候惇ですが、実際は戦いで勇猛果敢に戦った、とか、数多くの敵を打ち取った、とかではなく、後方支援を上手に行ったり、民政などでも功績を残している人物です。つまり文官に近い人物なんですね。

 

武器・農業器具を制作する張裔

 

また農業や道の整備などの指導を行うなど、民にとっても助かる人物でした。このため夏候惇は多くの人物に非常に好かれ、民衆からも人気があっただけでなく、上司、同僚、配下と多くの人物を引き付ける魅力を持っていた人物なのです。

 

……そう、この人物をそのまま描くと演義では劉備と重なってしまいます。

 

またやはり演義で活躍するというと華々しい戦働きの猛将が多いので、そこを踏まえて夏候惇は演義では猛将のイメージを付けるために目のエピソードを入れたり、したのでは?と想像しています。文官として農業奨励をやっていた人物です!というのは、ちょっと描きにくいシーンと言えますからね。

 

 

エピソード~夏候惇が如何に好かれていたのか~

夏侯惇

 

最後に夏候惇が周囲に好かれていたというエピソードを紹介しましょう。

 

曹操を裏切る陳宮

 

陳宮(ちんきゅう)が反乱を起こした時、夏候惇は呂布に捕まってしまいます。この時に夏候惇の陣営は真っ青、どうにかして助けなければと大慌て。しかし反乱を起こした陳宮や呂布に敗北することは許されません。

 

韓浩(かんこう)は曹操が手元に置いておきたかった男

 

韓浩(かんこう)は涙を流しながら「国法を守るために、見殺しにしなければいけないとは」と夏候惇に詫びながら戦いました。それが結果として夏候惇を救うことになったので結果オーライなのですが、この時の夏候惇陣営の反応や、韓浩の反応から非常に夏候惇が慕われていた人物だと想像できますね。

 

曹操と夏侯惇

 

夏候惇は完ぺき超人ではなく、時にミスを犯します。しかしその際に必ず周囲が助けてあげたい、と思わせる魅力があったようです。そんな夏候惇の一面を考えると、何だか更に魅力が湧いてきますね。

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

夏候惇のもう一つの一面はいかがだったでしょうか?

 

夏侯惇

 

そしてまた同時に演義での扱いにも言及しつつ、彼の魅力について語ってみました。知れば知るほど魅力に溢れた武将ですので、まだ知らない方はぜひ新たな夏候惇の魅力を再発見して下さいね。

 

参考:wikipedia夏侯惇

 

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呂布

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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