劉璋は漢中を領土にしていた張魯を討伐するため、劉備に助けを求めますが、劉璋配下の人々のほとんどが劉備を益州に入れることに反対。
今回紹介する楊懐も劉備の益州入りに反対していた人でした。
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劉備に援軍を要請する劉璋
劉璋は劉焉の跡を継いで益州の主に君臨します。劉璋は劉焉と協力関係にあった張魯が好き放題はじめ、劉璋の指示に従わなくなってきたことに怒り、張魯の母親と弟を殺害し、張魯討伐を行うための軍勢を派遣。
張魯は劉璋が母と弟を殺害した事に怒り、劉璋の軍勢を迎え撃って何度も撃退します。こうして二人の間は最悪の状態になり、二人の戦いは何年も継続していくことになります。
そんな二人の争いが継続している中、曹操が馬超・韓遂の連合軍の豪族たちをすべて平らげて、関中一帯を平定します。劉璋は曹操が関中一帯の軍閥を倒した事を知り、曹操が次に張魯を討伐し漢中を占拠し、益州へ攻撃をしてくるのではないかと予想。
そのため劉璋は曹操へ使者を派遣し、交友関係を結ぼうと考えていましたが、曹操の元へ送った使者・張松が「曹操を頼るのは良くありません。ここは殿と同族である劉備と交友関係を持ち、張魯討伐お願いする方がいいでしょう」とアドバイスを受けます。
劉璋は張松のアドバイスを採用し、劉備の元へさっそく使者を派遣。劉璋は何度か劉備とやり取りを行って交友関係を作った後、劉備へ張魯討伐の依頼を行います。この時、劉璋の配下の黄権は「劉備を益州へ入れるのは良くありません。絶対にやめるべきです」と強く注意を行います。
また文官の王累も劉備を益州に向かい入れるのは良くないと注意。楊懐も劉備が益州へ入ってくるかもしれないと知ると劉璋へ「劉備を益州へ入れれば益州が乗っ取られるかもしれないので、やめた方がいいです」と手紙を送って、劉璋へ注意を促します。
しかし劉璋は彼らの意見を採用することなく、劉備を益州へ招いてしまうのでした。
劉璋激怒!!
劉璋は益州の涪県に劉備がやってくると彼をもてなして、百日も宴会を催したそうです。その後劉璋は白水関を守っていた楊懐らを劉備の指揮下に加え、張魯討伐を行ってくれるよう再びお願いした後、成都へ帰還。
その後、劉璋は劉備がいつまで経っても、張魯討伐を行わないことに不信感を抱きます。そんな中、劉璋は信頼を寄せていた張松が、劉備を益州に招き入れて自分を討伐して、劉備を主にしようとしている密計があることを知り激怒。劉璋は張松を殺害し、白水関を守っていた楊懐らへ「劉備と二度と関わるな」と強く命令します。楊懐は劉璋の命令が届く前に劉備の元へ向かうことになります。
劉備に殺害されてしまう楊懐
楊懐は劉備の元へ出向くといきなり「貴様!!私の悪口を劉璋殿にいっぱい言っていたそうじゃないか。私を侮辱しているつもりか‼もう許さんぞ!!」とすごい剣幕で楊懐に怒鳴り散らします。
楊懐は劉備がブチ切れている意味が分からないまま、劉備に捕らえられてしまい、殺害されてしまいます。劉備は白水関の守備隊長・楊懐を殺害した後、益州攻略戦をスタートすることになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
正史三国志の楊懐は劉璋に手紙を送って劉備の益州入りに反対をしています。
ところが三国志演義の楊懐は劉備の益州入りの反対に加えて、劉璋が劉備に兵士や武器、兵糧などの援助をした際、これらをするべきではないと強く反対しています。楊懐は正史三国志・三国志演義ともに大した働きをすることなく、劉備に殺害されてしまいますが、劉備を益州へ入れたら乗っ取られると予想している事から、彼がそれなりに状況を読む判断力を備えていた人物だったと言えるでしょう。
しかし状況を読む力を持っていた楊懐に運が無かったのか。それとも劉備に幸運が舞い降りていたのかわかりませんが、劉璋の命令が楊懐の元に届く前に、楊懐を殺害した事で劉備の益州乗っ取り作戦は、短期間で益州のほぼ全土を手に入れることに成功します。
このことを考えれば、もし楊懐の元に劉璋の命令が届いていれば、劉備が白水関を攻略に時間を使うことになり、益州攻略にも膨大な時間がかかったかもしれませんね。
■参考文献 正史三国志蜀書など
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