張魯の死後、五斗米道はどうなったの?


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

五斗米道の教祖・張魯

 

三国時代に宗教国家を作り上げた張魯(ちょうろ
)

 

曹操に降伏する教祖・張魯

 

彼は漢中の地を治めていましたが、曹操(そうそう)軍の攻撃を受けて降伏します。その後張魯は曹操から侯の位を授与され政権へ組み込まれ、216年に亡くなりますが、張魯が率いていた五斗米道(ごとべいどう
)
と言われる教団は彼の死後どうなったのでしょうか。

 

自称・皇帝
当記事は、
「張魯 死後」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:卑弥呼の鬼道を探る。卑弥呼-張魯-安倍晴明のつながり

関連記事:張魯の配下には以外にも優秀な人材がいた!!

 


 

五斗米道の名前の由来は?

五斗米道(はじめての三国志)

 

張魯の祖父・張陵(ちょうりょう
)
は蜀にある鵠鳴山と呼ばれる山に入って道教を修行。その後張陵は鵠鳴山を下山した後、民衆へ道教を布教していきます。民衆の一部は張陵から道教を学び、道教を教えてくれた張陵へ五斗のお米を謝礼としてあげていました。

 

上記が由来となって「五斗米道」と呼ばれることになります。

 


 

どのような活動をしていたの??

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

張陵が布教した宗教はどのような教えを広めていたのでしょうか。正史三国志張魯伝によると「人を騙すなと教え、病気に罹った者へ自らが犯した罪の内容を告白させていた」と記されています。また「典略」によれば五斗米道は「静かな部屋へ病人を誘い、自らの罪を告白させた後、自分の反省させる。

 

その後鬼吏が病人の姓名を書かせ、自らの罪に服する意味合いの手紙を三通書き一通を山の頂上へ。もう一通を地中へ埋めて、最後の一通を河へ沈める

 

この方法を【三官手書】と呼ぶ」と病人の病気を治癒させる方法が記されています。このように張陵は布教活動をし、息子の張衡・孫の張魯の時代になっても変わらずに布教活動を継続。

 

劉焉

 

張魯はその後、劉焉(りゅうえん
)
から命じられて漢中太守を殺害した後、漢中を占拠します。その後張魯は劉焉の息子・劉璋が母と弟を殺害した事が契機となり劉璋から独立。張魯は漢中で宗教政権を確立し、曹操に降伏するまで独立を続けるのでした。

 

張魯が確立した宗教政権は五斗米道の布教活動をしつつ、生活に困っている人々や旅人へ腹の減り具合を聞いて、肉やコメを無償で食べさせていました。だが生活困窮者や旅人が肉やコメをいっぱい食べたいからと言って嘘の申告をした場合、病にかかる呪いをかけていたそうです。

 

とっても怖いですね。上記のような罰則はありましたが、五斗米道は漢中に住んでいる民衆や異民族から支持を受けていました。


張魯の死後五斗米道はどうなるの??

王印を発見し、張魯を漢中王になるようすすめる部下たち

 

張魯は漢中で宗教政権を確立していましたが、曹操軍の攻撃を受けて降伏。その後張魯は曹操から侯の位を与えられ、手厚い厚遇を受けていました。しかし張魯が曹操政権に組み込まれた事によって、五斗米道の政権も終わりを迎え、五斗米道の信者達も曹操の領土となっている北方へ強制的に移動させられます。

 

正史三国志にはその後五斗米道がどのようになったのか記されず、張魯が216年に亡くなり、彼の息子・張富が跡を継いだ事だけが記されていました。しかし五斗米道は信者達が張魯と共に北方へ移動した後も小規模ながら布教活動を継続し、司馬炎(しばえん)が建国した西晋の時も活動をしていたそうです。

 

三国志を統一した司馬炎

 

その後司馬炎が建国した西晋が滅亡。五斗米道の信者達は東晋が江南で建国された時期と同じく江南へ避難。その後五斗米道の名称は正一教と名を変えて、現在の中国で布教活動をしているそうです。


三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は張陵(ちょうりょう
)
張衡(ちょうこう
)
・張魯の三代が脈々と続けてきた五斗米道について紹介しました。三国志の時代は宗教とも密接な関係があります。

 

張角は歴史の表舞台に登場

 

例えば張角(ちょうかく
)
を教祖として後漢王朝に叛旗を翻した太平道が挙げられます。太平道は三国志を知っているならほとんどの人が聞いた事のある宗教名だと思います。また三国志時代と密接な関係があるのは、五斗米道や太平道だけではありません。

 

水月観音像(仏像)

 

仏教も三国時代と関連する宗教の一つとして挙げることができるでしょう。仏教は後漢王朝の明帝時代から伝わってきており、三国時代にも陶謙の配下で笮融が大寺院を建立し、後に中国に仏教を広める基礎を作り上げることになったそうです。

 

上記で挙げた宗教は太平道以外、三国時代から現代にも残っており、三国志と宗教が関連性を持っていた事がお分かりになったと思います。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:張魯が漢中を占拠できたのは母のおかげだった?

関連記事:劉備は張魯のおかげで三国志の英雄になれた!?

 

【漢のマイナー武将列伝】
漢のマイナー武将列伝

 





関連記事

  1. 次第に巨大化していく黒山賊と張燕3
  2. 五斗米道の教祖・張魯
  3. 周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)
  4. 陶謙

    はじめての変

    実は、かなりの極悪人徐州牧の陶謙(とうけん)

    陶謙(とうけん)と言えば、三国志演義では、…

  5. 李豊を蹴る司馬師
  6. 五虎大将軍の馬超

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA



はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“ながら三国志音声コンテンツ"

“if三国志"

“つながるはじめての三国志"

“赤壁の戦い"

袁術祭り

春秋戦国時代

PAGE TOP