今週のヤングジャンプではキングダムはお休みです。
そこで、休載の時にはこれをやろうという事で、今回は雑学スペシャルです。
紀元前221年、ついに天下を統一した秦ですが、それから15年後には楚の項羽によって秦王子嬰が斬られ、咸陽は蹂躙されて滅んでしまいます。
この事はあまりにも有名ですが、では、どうして楚は秦を滅ぼす中心的な役割を果たす事が出来たのでしょうか?
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この記事の目次
強国楚の弱点
楚というのは、戦国七雄でも異質の国でした。
そもそも、黄河文明とは文明が違う長江文明を起した人々が先祖ですから異質であるのが自然だと言えます。
そんな楚は地図を見ても分かるように、支配面積では六国を合わせたのに匹敵するような面積を持っていました。
また、楚というのは非常に伝統を重んじる国であり、紀元前11世紀に建国してより一度もクーデターが起きる事なく
春秋時代以来の強固な氏族制が連綿と続いている国でした。
ですが、王以外に千名以上もいた王族がそれぞれ、土地と人民を支配していた楚は、
史記や戦国策で、帶甲百餘萬、持戟百萬などと強盛、強兵と称えられつつも、秦のように力を一つに結集する事が出来ませんでした。
それでも、最後の最期には、楚の大将軍項燕が攻め込んできた秦の大将軍、李信と蒙恬の二十万の大軍を撃破し
さらに函谷関に攻め上る恐るべきポテンシャルを示しましたが、百戦錬磨の王翦が率いた六十万の秦軍には対抗できず滅亡したのです。
楚は滅びた事で強くなった
紀元前223年に楚が滅亡すると、秦は自国から官僚を派遣して広大な楚を郡と県にわけて、秦のやりかたで統治し始めます。
もちろん楚王は廃され、千名以上もいた王族も地位を失いました。
しかし、楚では騰が統治した南郡を除いて秦の統治は上手くいきませんでした。
楚だけではなく、六国とも同じではありましたが、特に、古い氏族制が堅持されていた楚で反発は強かったようです。
そして、紀元前210年、始皇帝が崩御した事で、楚にも激震が走ります。
翌、紀元前209年、陳勝と呉広という二人の楚人が900人の人夫を引率して咸陽に向かう途中に長雨に出くわして、
刻限日までに咸陽につけない事が確実になります。
秦の法律では刻限破りは死罪であった事から、陳勝と呉広は、理不尽な秦法に憤慨、護衛の秦兵を殺害して900人で蜂起しました。
これが陳勝・呉広の乱です。
楚では、同じく楚人の陳勝と呉広が蜂起した事で、元の王族も発奮し、最初に反秦の炎が楚で燃え上がるのです。
秦に滅ぼされるまではバラバラだった楚ですが、むしろ滅ぼされた事で、秦憎しと政治体制を中央集権から、
氏族制に戻すという事で楚人の利害が一致しました。
決して統一されなかった楚人の心が、滅秦で一致した事は秦を滅ぼす強大なエネルギーになったのです。
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