長坂の戦いの全容はあっさりめ?劉備と趙雲の逸話などはどこまで本当なの?


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赤壁の戦い

 

三国志には色々な「○○の戦い」が出てきますが、皆さんはどの戦いが好きですか?

 

樊城の戦い

 

有名な赤壁の戦い?関羽(かんう)の活躍が見れる樊城の戦い?

 

曹操から逃げ回る劉備

 

色々とありますがその中で今回紹介したいのは「長坂の戦い」。

蜀の武将たちの名シーンが多い印象のある長坂の戦いは見どころが多いと思いますが、実はこの長坂の戦い、正史ではとても「あっさりめ」であるとは……皆さん、知っていましたか?

 

今回はこの長坂の戦い、その中でも演義での名シーン「劉備我が子を投げ捨てる(語弊アリ)」の真偽もご説明したいと思います。

 

自称・皇帝
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実際の長坂の戦いは実にあっさりめ?

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

さて三国志演義を見ていると実にワクワクドキドキする長坂の戦いですが、実際の三国志だと比較的あっさりめの仕上がりになっています。

 

曹操に降伏する劉琮

 

三国志、三国志演義共に劉表(りゅうひょう)の死後、荊州は曹操(そうそう)に降伏します。この時に劉備は劉表の客将でしたが、このまま残って曹操と対立してしまうことを避けるために南下することを決意。この時に多くの民衆は劉備に付き従い、劉備は民衆を引き連れて南下。

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

三国志では諸葛亮(しょかつりょう)が進軍が遅くなるので民衆を別に船で連れて南下、最終的に曹操の追撃から何とか逃れた劉備と落ち合うことになります。

 

ざっくりと説明しましたが、長坂の戦いの流れはこういった感じです。三国志演義ではここに劉表の遺児たちの跡目争いやら何やら更に挿入されることで長くなりますが、正史ではそこまでクローズアップされません。

 

さてここまでで気になるのが、三国志演義での蜀の武将たちのあの活躍はどうなっているのか?ということだと思います。それについて触れていきましょう。


張飛の仁王立ちのシーンは……

張飛の男気人生

 

さて三国志演義では張飛(ちょうひ)が殿を務め、橋の上で仁王立ちをして曹操軍を圧倒するシーンがあります。ご安心ください、このシーンはしっかりと正史にも記述があります。

 

大声を出す張飛

 

ただし仁王立ちして迫りくる曹操軍を倒したということはなく、「張飛が目をいからせ鉾を横に構えながら「俺が張飛だ、死にたい奴からかかって来い!」と叫ぶと、曹操軍は張飛に近付かなかった」とされています。

 

張飛と劉備

 

ただしこの張飛の活躍によって劉備は逃げ延びた、とされているのでやはりこのシーンは欠かせないシーンと言えるでしょう。三国志演義でも比較的張飛の仁王立ちシーンはさらりと紹介されるので、ここまでは三国志演義から蜀ファンになった人たちも満足いただける内容です。

 

問題、と言っては何ですが、三国志演義と比べて三国志では長坂の戦いがあっさりめ、と感じさせるのは別のシーンなのです。


趙雲のシーンは非常に簡潔にまとめられている?

趙雲

 

三国志演義では長坂の戦いは、ある意味で趙雲(ちょううん)の最大の見せ場とも言える戦いです。趙雲は戦いの中で糜夫人と阿斗を見失い、必死で探しまわって二人を見つけ出します。しかし見つけ出し時に既に糜夫人は足に怪我を負っていて、このまま自分がいては逃げきれないと判断した夫人は阿斗を趙雲に託し、自ら井戸に身を投げてしまいます。

 

長坂の戦いでの趙雲

 

その後、趙雲は一騎当千の戦いを繰り広げながら曹操軍を蹴散らし、劉備の元に劉禅を届けるのです。

 

が、これが三国志正史では「阿斗を自ら抱え、甘夫人を保護した」という簡潔な一文にまとめられてしまっているのです。

 

これをあそこまで描写した三国志演義が凄いと言えばいいのか、それとも正史三国志はあくまで歴史の記述と納得するべきか……このため、三国志演義を見てからだと正史の長坂の戦いの戦いは比較的「あっさり」描写だと感じてしまうんですね。


劉備と趙雲のエピソードはあくまで創作

朝まで三国志 劉備

 

因みに三国志演義では阿斗を無事に届けた趙雲に対し、劉備は子を投げ捨てて阿斗よりも趙雲の無事を喜ぶ、というエピソードがありますがこちらもやはり創作。

実際にはこのようなエピソードが挟まる場面はありません。

 

朝まで三国志 劉備

 

ただし正史では曹操軍が長坂で劉備に追いつくと、劉備は妻子を棄てて諸葛亮らとともに数十騎で逃走……というように、書かれているということもあり、そのままだと劉備のイメージがあまり良くないので三国志演義では「劉備の妻子と激戦の中ではぐれる」「劉備は我が子よりも忠臣の命を大切に思った」エピソードを挿入したのではないか……と筆者は想像しています。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は正史と三国志演義を比べて、かなりあっさりめな長坂の戦いを紹介しました。筆者は最初三国志演義を読んでから正史を読んだので、とても描写があっさりなことに驚いた記憶があります。

 

羅貫中

 

しかしこういった描写の違いは三国志演義の筆者たちの手腕を感じさせるシーンでもあると考えていますので、皆さんもぜひ描写の違いを見つけて、どうしてそこに至ったのか……を妄想してみて下さいね!

 

参考文献:蜀書・関張馬黄趙伝

 

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